チリの風 マラソン その2

(マラソン その1からご覧下さい)

04年4月11日(日) サンティアゴ国際マラソン

いよいよ本番の日がきた。私のアパートに三人が集まることになっていた。

先週の練習で12Kを一緒にゴールしたリカルド、塚原と私の三人。リカルドが乗り付けてきたタクシーに待っていた私たち二人が乗り込んで出発。朝7時。気温は10度だったが、そう寒くは感じなかった。三人とも下はランニング・パンツだけでズボンははいていなかった。

ところで、この3人の中でゼッケンをつけているのは塚原さんだけだった。リカルドは65ドルの参加費は高すぎるといって、登録しようとはしなかった。私はそんなせこい考えは持たずちゃんと65ドル相当のペソを持って、このマラソンの企画をたてたオリンポ社にいったが、もう通常受付の締め切りはすぎています、インターネットで申し込んでくださいと冷たく断られる。じゃ参加費用の支払いは?と聞く私にクレヂットカードから引き落とさせてもらいますとの回答。しかし私のカードはドル建てではないから支払請求がくれば、どこかからドルを手にいれて銀行に持っていく必要がある。面倒。で、私も正規の参加をあきらめてリカルドと同じ不正参加になってしまった。私もせこいか。

タクシーの中で、私は5Kまでは3人いっしょに走ること、そのあと、私はリカルドと15Kまでいっしょに走って、最後の6Kは自由にしようと提案した。

塚原さんはそれに同意したが、リチカルドは納得せず、最後まで一緒に走る約束ではなかったのかと私を非難する口調で言う。冗談で文句を言っているのか本気なのか考えてしまう。

30分で会場のオヒギンス公園についた。塚原さんはゼッケンの登録を済ます。

ラソン出発まであと1時間。3人は高まってくる気持ちを抑えつつウオーミングアップに入る。

参加者が徐々に集まってくるが、この広い会場では群集というには程遠い。ざっと見て1000人超くらいの参加者だった。もちろん3種類の競技中で11Kの参加者が最も多く、それからハーフマラソン、一番少ないのがフルマラソンに挑戦する人間だ。

トイレにいく、私は緊張するとトイレに行きたくなる。レース中にトイレにいくのは最悪だ。いつのレースだったか、三井の人間と走ったとき、11Kを走ったチリ人だったが、彼はがまんできなくなってガソリンスタンドのトイレに入ったのを思い出す。

出発が近づいてきた。

サンティアゴ国際マラソンというのは、この大会が世界陸連に登録されているということを示している。今年の参加者の国数は26と発表されていた。その中には日本や韓国も入っていた。そんな遠いところからここまでマラソンを走るためにくるわけがないから、チリに住んでいる人間が走るのだろう。はっきり言ってこの大会のレベルはきわめて低い。

「塚原さんはスタート地点にいって、私とリカルドはこの辺で待つから」と自分の気持ちを二人に伝えた。ゼッケンを付けていないのに出発地点に並ぶのはやっぱり気が引けるから、出発して少ししたところから一緒に走り始めようということだ。

でも結局、「そんなこと気にすることないよ、私たち以外にももぐりはいるよ」となって、正式スタートラインに私たちは並んだ。これで私の正義感もいいかげんなものだと言うことがわかる。

スタートラインの前の狭い地域に千人以上のランナーが並ぶとさすがに密集している気がする。

横に並んだ女性が清涼飲料水のビンの蓋をあけてそれを道路に投げ捨てた。にらんだがビクともしなかった。憎たらしい女性ランナーだ。そんなふたで足を捻挫することだってあるのだから。蓋を道路の端に移す。

いよいよスタートが近づいた、時計を00分にあわせて、スタートを待つ。

号砲が鳴り渡り、いっせいにランナーが走り始めた。前のランナーに遅れないよう走り出すが、今日は抑えて行こうとレース前にした約束をかみ締める。

アホな私は、最初はゆっくりと言うルールを、すぐに忘れて突っ走る癖がある。

でも、今日は一人ではない。仲間が二人いる。目標は最初の5Kを30分で走るというものだ。さて守れるか?

公園を出ると、アラメダ大通りに向かう。会場から少し逆戻りをしてその通りに出る前にもう1Kは走っている。最初の団子状態から、だらだら続くグループ状に集団は変化している。

私たちの前を、でぶの女性が走っている。不細工なとは言っていない。顔なんて見えない、ただ肥満体質な女性といっているだけだ。彼女の後ろを走るのは、どうにも我慢ができないが(こんなランナーより自分は遅いのか)、彼女を抜いたとたん、その前に一人の老人が走っているのに決まっている。よれよれとは言っていない、ただ私よりかなりお年を召されたランナーといっている。

このように一人を追い抜くとすぐその前に違うランナーが待っているから、前のランナーを抜きにかかると言ういつもの性癖を止め、ここは自重して、5K30分のペースを守ろう。

1K6分(つまり5K30分)の速さってどんなのか分かるのですかと聞かれそうだが、私のようなベテランになると、1K6分でも1K5分でもちゃんと走り分けることができる。じゃもっと速く走れるの?と聞かれそうだが、1K4分はさすがに苦しい。(5年前、10Kの公式大会で39分02秒で走った記録が残っているが・・・)

サンティアゴのもっとも大きな通り、アラメダをランナーは走っている。もちろん私たちは後ろのほうを楽しく走っているが、会話をしながら走るのも悪くは無い。これが1K6分で走る余裕だ。これより早くなると会話をしながら走るのは困難。

まだ序盤戦だから、ランナーのパワーは十分で、それをどのように使うか十分に認識していない馬鹿なランナーは闇雲に速度をあげて、私たちを抜いていく。そういうランナーに限って、このあと2・3K先で歩き出すのだ。

私たち三人のピッチはぴったりあって、特に苦しそうな表情の人間はいない。まだまだ大丈夫だ。心配された塚原さんも、まったく遜色ない走りを見せている。最後の練習で3人そろってゴールした効果がこの自信になって表れているのだろう。道端にでて私たちランナーを見ている人が多くなった。繁華街が近い。もっとも車に乗っているドライバーは、いつまで交通遮断をするのだ、早く行かせろと文句を言っている。

大統領官邸を左にしながら走る。昔、私はこのあたりを毎日歩いていたのだが、それは三井チリがその事務所をこの官邸の向こう側に構えていたからだった。

最初の目標の5Kが近づいてきた。

ゼッケンのない私たちには水の配給はしてくれないかもしれないと心配したが、杞憂だった。(そのときは塚原さんが三人分、もらってくれることになっていたのだが)リカルドはそれを心配して、ミネラル水の小瓶を手にしていた。

給水所につく。少しだけでも水を飲むことにする。記録は29分25秒だった。すごい、30分の目標にぴったりだ。さて水を三人が取ったところでこの先は二組に分かれてレースに挑むことにする。計画どおりだ。塚原さんはこの先無理をせず自分のペースで2時間半を目標にゴールを狙い、私とリカルドはピッチを上げて1時間50分台の記録を狙う。

アラメダからプロビデンシア通りに名前が変わる。まだ自分たちのペースをつかんでいないが速度の上がっていることは、感じられる。前を行くランナーと同じくらいの速さになったので、もう以前のように抜かれることは無くなった。

アフリカ系黒人が前を走っていた。外観はまるでNBAのスター選手かと思わせるほどの立派な身体つきだった。さぞかし早いのだろうと思わせるが、私たちと変わりない速度で、前になったり後ろになったり。

そういうランナーが何人も周りにいて、グループを形成している。

川を渡った。マポチョ川の向こう側は、日曜のせいもあって交通量も少なく気持ちよく走れる。すでにこのコースの下見を済ませているから自信を持って走った。ここまで走ってくると少し身体が熱くなってきた。袖なしのランニングシャツを上に、半そでのシャツを下に着ていたが、下の半そでを脱ぎ、袖なしのシャツだけにする。半そでは左手にもって、ハンカチ代わりに汗拭きに使う。

私が少しペースを落として着替えをしている間、リカルドもペースを下げて待っていてくれた。

「ちゃんと君のくるのを待ったからね」とリカルド。さっきの私の発言を警戒しているのだろう、釘をさしてきた。

ここで私が持ってきていた、バナナを食べる。2本持っていたので、リカルドに1本渡す。バナナはランナーの味

方だ。これをもって走ると、当然、邪魔になるが、1本食べると確かに元気が出るのを感じることができる。長い距離を走るときは練習のときでも、私はバナナを手にもって走る。ごみ箱にバナナの皮を入れる。

以前はシェラトン・ホテル前の坂はきつくて前半の山場だったが、今回はそこが道路工事中で、その坂を登らず、緩やかな登りの道になっていた。そこを過ぎると少し下りが入る。多分、ここだけだ、このコースの中でこんなにはっきり下りになるのは。とにかく今走っているサンティアゴ国際マラソンのコースは単純で、最初の15Kはとにかく上りばっかり。いくら急な上りがないとはいえ、そんなに上りが続くと疲労は激しい。高低差は100M以上。

右手に近代的なビル群が見えてくる。現在の三井チリの入っているビルもそのひとつだ。私はその場所でも数年働いていた。サンティアゴのもっとも進化した事務所街だ。

10Kの給水所が見えた。ここまでの5Kは27分34秒。最初より2分ほど上がっている。予定では25分だったから、それよりは2分以上遅い。さぁどうしょうかと考えた。このままのペースで様子を見るか、ギアチェンジをしてさらに速度を上げるか。

そこからすぐ目の前に11Kレースのゴールが迫った。もうゴールをして楽しそうに話しているランナーや、自分よりゆっくり走っている知り合いを捜しに逆送しているランナーもいる。ゴールしたあとのランナーの幸せそうな顔はいつ見ても楽しそうですばらしい。自分たちもあと10Kであんな顔になるのだろうか。

そこを過ぎるとランナーの集団はなくなり、1列になって走っている。普通は単独だが、ときどき私たちのように二人組みを見ることができる。前にそんな二人組みのカップルがいた。女性のほうはすんなりとした身体つきで、いかにも鍛えているという風情だった。で、いつもの癖がでて、じゃ抜いてみようとする。

リカルドは、道端に美人の女性を見ると私に、ぼくのガールフレンドが応援してくれているというのだが、それが不細工な女性だと、あっピーターのガールフレンドが見ているよという悪い癖がある。

で、私が抜きにかかったような女性ランナーは、彼の女友だちになるのだろう。もっとも彼女の横には男性ランナーが付いているが。

速度を上げて追い抜く。そのまま置き去りかと思ったが、二人も粘って、私たちとの差が広がらず、4人組のようになった。

右手にマポチョ川の河原が広がり、遠くにアンデス山脈が見えていた。薄日の差すこの日の首都の朝は爽快だった。

私たちの速度はとくに上がっている気はしなかったが、前を走るランナーを次々に捕捉しはじめた。多分、他のランナーの速度が落ちたからだろう。

快調だ。飛ぶようにとはいかないが、グングン前に出る。自転車にのった応援をつけたランナーを抜いた。リカルドが、わざわざ私のために自転車で伴走してくれてありがとうと冗談を言った。まだ彼も余裕がある。

どこまで行けるのか、今ひとつ自信がなかったので、私は速度を上げるのをためらっていた。でもどこかで上げるつもりだった。一度、速度を変えようとしたとき、即時にリカルドが、私の名前をよんで警告した。ゆっくりって。

道はほとんどまっすぐ東に向かって進んでいる。この5Kでもう何人抜いただろう。20人くらいのはずだ。

15Kの給水所が見えてきた。私は時計を見て、時間を確かめる。28分07秒だった。悪くはないが良くもない。25分には程遠い。さぁこれで最後の5Kになった。もうこれ以上怖がることはないから、思い切って勝負に出るべきではないか。

速度を上げる。リカルドはぴったり私の横についている。速度を上げると、話をする余裕がなくなる。で、黙々と走る。コースの横で応援してくれる市民の数は以前のレースより少なく感じた。バナナを皿に乗せてランナーの提供してくれる人もいなかったし。

川を渡って、またサンティアゴ旧市街の方へ出た。ランナーの塊はもうなくなったが、それでも何人かが並んで走っている。それを片っ端から抜き始めた。気持ちのよいほどの速さで彼らを置き去りにする。このあたりを走っているのは全員同じくらいの力量だから、誰かが無理をして抜きにかかれば、簡単に抜ける。他のランナーがそれをしないのは、まだゴールが近いと感じられないからだろう。

クリニカ・アレマナの病院前を通過。次の目標はケネディ通りの高架だ。交通量の多いケネディ通りの下に入る。この下りを利用してさらに速度をあげることにした。このとき、リカルドが二度目の警告を出した。私にゆっくりって。

前に20Kの給水所が見えてきた。

覚えている、以前ここでレース中に写真をとってもらったことを。応援にはここは分かりやすい良い場所だ。ショッピング・センターのそばで、おまけに日本人が多くすんでいる地域に近い。

20Kまでの5Kは26分22秒。今までのベストだった。一番最後の5Kが一番早いというのも面白い。

アプマンケ・ショッピングセンターの前を飛ばす。もうあと1Kでゴールだ。私も飛ばすが、リカルドも飛ばしている。まったく互角の勝負だ。ところがこの最後の1Kは厳しかった。今までより速く走ったのと疲労が重なったことによるのだろうが、ずいぶん長く感じた。向こうにゴールが見えてきた。もう走らなくても良いのか。

私はゴールの30M前のところで、走るのを止めた。ゼッケンのないランナーが係員が待ち受けているゴールに入れるわけがない。しかしリカルドはなんのためらいもなくゴールに向かった。彼のゴールの記録は1時間56分14秒だった。最後の1Kは4分46秒だった。正確には1.1Kだから、最後の1Kが一番速く走った区間となった。

ゴールにリカルドと私の家族が待っていてくれた。リカルドは私に近づき並んでゴールしたことを祝福した(実際にゴールの地点に到着したのは彼だけだったが)

ランナーが続々到着してくる。私たちがちょっと前に抜き去ったランナーたちだ。マイクが、ゼッケン638番、ハイメさんのゴールですと叫ぶ。拍手が起きる。私もゴールのそばで目の前を通り過ぎるランナーに拍手を送っていた。

ゴールした一人が芝生に倒れこむ。家族が心配そうに付き添っている。

続々とハーフマラソンのレースを終えたランナーが到着する。マイクが忙しく選手の名前を紹介する。

そのころあの黒人選手が通過した。そうか、彼はフルのマラソンだったので、私たちと勝負せず、抜かれても余裕でゆっくり走っていたのか。私たちと同じくらいの速さで5Kから10Kまで走ったランナーがゴールした。私を見つけて近づいてきた。君たち早かったね。自分も君たちに付いて行こうとしたんだが、10K過ぎたら疲れちゃって。こういう会話は実に気持ちの良いものだ。

ところで塚原さんが戻ってこない。彼の目標は2時間半。最初の5Kの走りを考えれば、もしかするとその目標を破って20分台で戻ってくるかもしれない。

さっき芝生に倒れこんだ中年ランナーは一向に良くならず、付き添いの奥さんはとうとう救急車を呼ぶことにしたらしい。そのほかにも一人、担架に乗せられていった気の毒さんも見た。

マイクの叫ぶ頻度が落ちてきた。もう大半のランナーがゴールしたのだろう。塚原さん、遅いね。リカルドはそういってから自分は家族も待っているからとと消えていった。

私は彼のゴールを待つことにする。

ゴールしたときは暖かかった身体が、少しずつ冷えてきたので、レースの最初に脱いだ半そでシャツをもう一度着なおす。最初の汗でぬれていたが、弱い日差しでも少しは乾いただろう。こんなものでもないより増し。

2時間半がすぎると私も心配し始めた。もしかして彼はレースを棄権したのではというわけだ。でもそのときもここまで来るに違いない。

もうランナーとその家族は大半が帰ってしまい、レース関係者が、所在無く立っていた。

まだ彼は見えなかった。もうフルマラソンのランナーでも21K地点を通過してしまっていた。ここを3時間なら、どうがんばっても42kのゴールに6時間の足切り以前に到着できることはない。

向こうに3人のランナーが見えた。2時間40分を過ぎていた。きっと彼らのうちの一人だろうと思った。3人が近づいてきた。塚原さんはいなかった。

今度こそ最後のランナーだろう、誰か走ってくるのが見えた。塚原さんだった。

よれよれになってのゴール。しかし最後に意地を見せ、速度をあげてゴールイン。マイクがツカハラ・ニッポンとコールした。

おめでとう、よくやった。彼は泣きはしなかったが、興奮していた。苦痛に顔を歪めていたが、苦しいレースのあとに目標だった完走を成し遂げたのだから、それは当然のことだ。

彼は私に最後の5Kでへたばってしまいとコメントした。最初は順当だったのですがとも。そうか彼にとって私たちと一緒に走った5Kが命取りになったのか。彼にとってはやや早すぎたにしても、三人にとってはあれがこのレースの戦略の中心だったのだから、しようがないだろう。彼はこれを教訓にしてランナーとして新しい一歩を踏みだすだろう。この初めてのレースは厳しいが、得ることの大きいレースになったはずだ。もちろん、リカルドや私にとっても。

彼の後ろにまだ一人、二人ランナーがいた。彼らの後ろをパトカーが走っていたから、間違いない。最後尾のランナーだ。

タクシーをつかまえて全員が乗り込む。レースの終わりだった。

レースが終わってから、私はとくに疲労感がなかった。その日の午後も、夜も翌日も寝込んでしまうことがなかった。今までフルを走ったときは翌日までその影響が残ったのとは大きな違いだった。やっぱりそれがフルとハーフの違いかと考えた。しかし息子の武蔵はストレートに一言、私にコメントした。おとうさん、本気に走らなかったんじゃない?

最終ラップタイム (5Kごとの計時)

  5K  29分25秒

 10K  27分34秒

 15K  28分07秒

 20K  26分22秒

 21K   4分46秒

 合計1時間56分14秒

後日この日の記録を見ると、ハーフマラソンは330人の参加があって、その内で260人が完走している。私の年齢のクラスではトップは61歳のアメリカ人で、彼はハーフを1時間31分で走っている。そして私の記録は5位に相当することになっていた。もちろん正式参加でない私の名前は掲載されていないが。

このレースのあと、私は3ヶ月間マラソン練習を休むことにしていた。登山など他のスポーツに力を入れようということだ。

ところが、相棒のリカルドはレースの翌日もう練習を開始したらしい。同じ職場だから、何かといっては私の事務所に入ってきて、早く一緒に走ろうとうるさい。走りたくないのだったら、そう言えばと娘のさやかは冷たいが、そうはいかない。で、私もマラソン練習を開始し、なんとこのレースから2週間後の10Kに出ることになってしまった。

(そしてその10Kを46分で走りきり、ゴールしてから両足痙攣で道端に倒れてしまった・・・・アホだ)

そのあとも、毎月レースが続くが、来年の4月はちゃんと登録して、42Kを走ろうと迫られている。ちゃんと断れるかな?

ちなみにこの大会で優勝したのは、招待選手ではなく一般参加の人間でなんと2時間20分台。まるで世界レベルの女子の記録だった。やっぱり、賞金が低いと世界的な選手が来るわけがない。