チリの風  その972  2021年12月27日ー2022年1月2日

とうとう新年になりましたね。去年はあれだけ頑張ったのだから、今年もそれに輪をかけて行こうと思いたいですが、それほど世の中は甘くないでしょう。何とか楽しい日々を送れますように頑張ります。

晦日の日、仲間と山歩き。いつもの第1展望台に行きました。山岳公園がコロナで閉まっている時は除いて、週に1回のペースの山歩きを守りました。独り歩きでも仲間と一緒でも自然の中に入るのは楽しみです。
そして夜中に打ち上げ花火大会。私がいつも歩いているカランの丘から花火が上がります。近くの公園に大勢の人が集まり歓声を上げました。昨年は中止になっていますから、やはり正常化が進んできたわけです。
日曜日はマラソン練習。ちゃんと10キロを走りました。この習慣を継続したいです。
つまり2021年は最後まで決まりを守り、2022年もそれに沿って始まりました。
さぁ今年はどうなるかな?

さて今週、月曜日にサンティアゴの一部で雨になりました。その時、私は散歩をしていたのですが、ぽつぽつ雨が降ってきて道路を濡らしました。今頃の雨は珍しいです。その他は毎日、最高気温30度の日が続いています。

(政治)

1)ピニェラ動向
 12月の世論調査でピネラを支持するは27%、不支持は69%でした。それに添付されたコメントですが、2年前の社会騒乱がなければピニェラは政権の最後の時期を支持率80%で終えただろうとか。
つまり現状は歴代最低の人気だが、あれがなければ歴史上最高クラスだったとするわけです。その根拠が分かりませんが、どうしてそんなコメントをつけるのでしょう。政治的意味があるのでしょうか。
私は彼の政策が特に良かったとは思いませんが、コロナに関しては彼の政策を支持します。

新大統領のボリッチは、休みを取って故郷のプンタ・アレナスに。頻繁に行きますね。飛行機で4時間ほどかかるところです。マスコミは彼を追いかけます。もちろん彼を持ち上げると言うのは誰かの政策なのでしょうね。サンティアゴの新居とか、内縁の女性との関係とか。
初めての世論調査でボリッチを支持するは54%、不支持は46%でした。
35歳の若手が国をうまく運営する力はないと言う意見がありますが、逆に60にもなった老人が国を引っ張るのは無理だろうと言うコメントもあります。つまり年齢は許容範囲が広いと言うわけです。私はボリッチの後ろに誰かが隠れていて、彼を操っていると見ますが。今日の新聞に新内閣に共産党から何人入閣するかと書かれています。
先週、社会党の党首と面談しましたが、バチェレット時代の旧与党の3大政党だった、そのほかの2党のPPDとDCは新大統領にどうすり寄って行くのでしょう。
同じように現与党の大手の国民改革党RNの元党首で今回の大統領選挙に出たデスボルデは「党内のいざこざに嫌気がさしている。このままでは離党するしかない」とコメント。すると同党は彼を制裁処分にしました。元党首の人間ですよ。与野党ともに問題山積ですね。

年金援助法。これが今週の最大の話題です。ピニェラは最低年金を18.5万ペソにする法案を作り、それを議会に提出しました。すると野党から、何を嫌がらせするのだと言うクレームが出ています。普通なら、政府提案を、「そんな額なら国民を満足させられない、努力してもっと良い数字を持って来い」と言うのですが、3月から自分たちがそれを実行する責任があるので、「どこにその原資があるのだ、責任を擦り付けるな」とするわけです。大蔵大臣はこの原資は‥と説明し、責任をもって実行できますとにっこり。共産党は政府案に反対していますが、他の野党は来週の議会で賛成票を投じるかもしれません。同じように、ピニェラは保育園法を作り、仕事と育児で苦しむ母親を援助しようとしています。これも野党からクレームがでるのでしょうか?


2)新憲法委員会
 現委員長のマプチェの女性ロンコンは第1期が終わったので、その責を譲るようですが、彼女は私の任期中、現政府から援助を得ることが少なかったとコメントしています。政府もどうすればよいのか良く分からなかったのでは。
 2年前の社会混乱の時にピノチェットの憲法なんか破棄しようとするグループの勢いが大きくなりましたが、何が問題で何をしようとするのか分からないまま、とにかく新憲法準備となりました。つまり現在の委員だけでなく一般国民が現行憲法の何が悪いのか良く分かってないようです。じゃ、草案が出来たときの投票はどうなるのかな?ピノチェットの憲法を変えるなら何でも賛成と言うのではレベルが低すぎますね。

(経済)

1)経済成長率
  11月は8ヵ月連続で2桁成長になり、昨年1年間で11-14%の2桁成長は間違いないとか。
  予想通りの展開でした。失業率も順調に下がっています。
2)銅価格と為替
  銅の今年の平均価格は1ポンド4.23ドルと最高を記録。チリの困難な状況を救ってくれたわけです。今週は4.40ドルで終えました。為替は1ドル850
ペソでした。ところで為替は年平均で760ペソでした。対ドルでチリペソは世界3番目に落ち込んだとか。
3)リチウムのテンダー
  昨年10月からテンダーが始まりました。40万トンの採掘がオッファーされており、5社が参加しているとか。ボリスグループはそのテンダーをいっ
たん中止にして、新政権で結論を出したいとしています。もしそれが実現すると銅鉱山に投資している外国資本は安心 できま せんね、今は銅の
価格が上がっているので、数年前の経常収支の苦しみは消えていますが、政府の介入が出始めると、どう撤退するのが良いのか大問題になります。

4)銀行の利益
 なんと今年は昨年の2倍になったらしい。
 20%アップならまだ理解できるけど2倍になったと言うのは常識の外ですね。今年は投資をする人がそれだけ増えたのですね。

(一般)

1)コロナ問題
 今週は、良い傾向はありません。感染者数はそれほど伸びていませんが、感染率が上昇し連日2%を越えています。週末は3%を越えました。感染が治っていない患者の数も先週より増加です。もっとも新変種のオミクロンは風邪と同じくらいのレベルで大騒ぎすることはないと言う説もありますが。
所で隣国アルゼンチンですが、今週何と1日で50500人の新記録。その日のチリは1295人でした。人口の差はありますが、アルゼンチンの20倍の感染率は異常ですね。政府は何も手を打てないのかな?
チリに今週約80万人分のワクチンが到着しました。

移動パスの制限
今まで2回接種した人に移動パスが出されていました。それが1月1日から3回ワクチンを打った人だけに認められます。それで年末、ワクチン接種所に長い列が出来ました。3回目を打てなかった約100万人のパスが価値を失いました。
今年の中ごろには4回接種が義務付けられるのでしょうか。そうなると毎年2回の接種が義務付けられるのでしょうが、それは各自の健康に悪い影響を与えないのかな?

2)山火事
 やっぱり山火事の大半が自然ではなく人間が関係していたようです。
 ほとんど鎮火しましたが、それでも未だ11カ所で火事が継続です。合計で31000ヘクタールが燃えたらしい。
 それにマプチェが関連してきます。
 マプチェのグループの中で一番過激なグループはCAMと呼ばれるグループです。ボリッチは彼らと話し合いをしたいとしました。与党側から犯罪
グループと話し合いをするとは何事か。彼らは全員逮捕して裁判にかけるべきだと言っています。同グループのリーダーは武力闘争は続ける、それは
自分たちの権利だとしています。
欧州人がラテンアメリカで行った犯罪行為はどの国の教科書にも出ないようですね。チリでもたくさんあります。


以上

チリの風  その971 2021年12月20日ー26日

1年が過ぎていきますね。読者の皆さんにとって今年はどんな年だったでしょう。
家の外に出られなかった日が4か月以上あった昨年は悲しみ・苦しみの連続でしたが、今年は私にとって最高の年でした。
すべてが正常化したからです。サッカー教室・登山教室、そしてチリの歴史の授業など子供との関係が元に戻りました。アポキンドの滝の長いコースを歩き、マラソンも走って元気になりました。その「中高年の元気さ」がテレビ番組になったのも良い思い出です。そして今週、小説を書き終えることが出来ました。完成に協力してくれたチリ在住の先輩の今村さんに感謝します。小説の最後の部分が難しかったのですが、何とかうまくまとめました。読者に喜んでもらえると思います。このブログに全編が掲載されています。
白内障の手術もうまく行ったし、静脈血栓症の病気も悪化していません。健康に恵まれ、まだ飛んだり跳ねたりできます。
そうそう年初に10年ぶりに会社員になれたのも嬉しい思い出です。
嫁さんと二人でチリ南部の旅を8月にしました。11月の北部の旅は彼女の仕事の関係で中止になり、残念でした。去年の訪日計画はコロナで延期になりましたが、来年は行けるかな?
嫁さんとはうまく行っているし、二人の子供が社会人として活躍しているのがうれしいです。
さて今の住居は売りに出ていますから、多分、来年中に南部移住の夢が実現するかも。
年を取っても夢を追い続けています。

今週も最高気温30度の暑い日が続いたサンティアゴです。スポーツは5日楽しみました。山登りは4か月ぶりに近郊のマイポ渓谷に行ってトレッキングをしました。日曜日のマラソン練習は3名で走り、来年も頑張ろうと誓いました。

いつまでこんな幸運が続くか分かりませんが、幸せを感謝しながら生きています。

(政治)

1)ピニェラ動向
  月曜日、次期大統領のボリッチをモネダ宮殿に招いて会談。見た感じはまるで同僚・同グループの人間と話しているようで、敵対グループの二人には見えませんでした。来月の彼の最後の外遊になるコロンビア訪問にボリッチを招待しました。これに関しては賛否両論で違った外交政策を持つボリッチが同行するのはいかがなものかと言われています。
それからコロナのワクチン接種が始まった1年記念として関係者を呼んでお祝いをしました。このワクチンのおかげでチリ社会の安定が守れたとしました。
また多くのスポーツ選手をモネダ宮殿に招待して今年も頑張りましたねと褒めました。
2)新大統領の動き
 先週の大統領選挙は投票者数が830万人と新記録、ボリッチは55.9%で460万票。これも新記録でした。35歳の当選も最年少記録でした。
株式市場はその前の金曜日は4358ポイントでしたが、選挙の後の月曜日は4100を割るほどの下落。どうなるか恐れたのですね。それが意外と混乱は少なそうだと見えたので、週末4298まで戻りました。同じように為替も月曜日、大きくペソ安になりましたが、金曜日少し落ち着きました。
ボリッチは毎日、ニュースに出ています。彼の事務所は新モネダと呼ばれています。
現在の焦点は組閣問題です。彼の属する新左翼の政党には大臣をたくさん出す可能性はありません。共産党の党首が、彼が必要なら私たちはいつでも応援すると言っています。ボリッチは社会党の党首と面談しました。
私の心配は厚生年金問題です。左翼が言ってきた現行のシステムAFPを潰すことがどう実施されるかです。現行制度に問題があるから、こう変換すると言うならわかりますが、単純に潰してしまえでは混乱が起きるだけでしょう。政府がすべての責任を負うとして親方日の丸にすれば資本運営は、現在の日本とチリの例ではっきりしていますが、チリ式の方がうまく行っています。
チリが政府運営の新方式にして、それがうまく行かなければ一般市民が、何十年か後に年金をもらいだすときに苦しむことになるのですが。

 然し与野党とも分裂状態です。左翼系が勝ったから野党側は大喜びと思われるかもしれませんが、そんな雰囲気はありません。予備選挙に野党中心の3党(社会党、PPDそしてキリスト教民主党DC)は参加しませんでしたね、全く理解できない不始末。おまけに本戦で、候補になったDCのプロボステは下位低迷。誰が責任を取るのでしょう。
与党側も同じで最右翼のUDIと中道系の改革党RN、エボポリなどはちゃんと話が出来ていません。
新聞にピニェラが右翼で勝った唯一の大統領とする記事が出ましたが、これは私が先週書いたようにピノチェット崇拝の最右翼から候補者が出れば国民の多くは応援しないと言うこと同じです。
ラテンアメリカで多くの国が左翼化していると言われます。ブラジルも次の選挙で左翼が勝つだろうとか。しかしそれは国民の左翼化でしょうか。ブラジルの場合、現在の右翼の大統領があまりにもおかしいので、仕方なく左翼に戻すとみられています。チリの場合も右翼政党が極右候補を推したので、左翼が勝った可能性もあります。単純に左翼が人気があるわけではないですね。右翼も左翼もひどいのがアルゼンチンですね。破綻寸前のようです。

3)新憲法委員会
 まずボリッチが訪問し、委員会議長のマプチェの女性と面談しました。
 それからバチェレット前大統領が訪問し、「皆さんが将来のチリを代表しています」と励ますのか、圧力をかけているのか分からないコメントをしました。バチェレットの影響力はこれからも強くなるのかな?

(経済)

1)来年のチリ経済は厳しい・困難な状況が予想されると言われていますから、次期政権で誰が大蔵大臣・経済大臣になるかが注目されています。その二人の力で正常化が図られるのですから。
2)銅価格と為替
 銅価格はポンド当たり4.34ドルと上昇。為替は1ドル864ペソとペソ安になりました。
3)サクランボ
サクランボの輸出は年間20億ドルとワインと並んでいます。1997年は6400トンの輸出だったのですが、2008年に44500トンに、2018年は186000トンに。そして2022年の予想は387000トンです。昨年初めの中国での汚染が大問題になりましたが、生産者は中国以外は考えられない。他の国への輸出も実施しているがもっともよい製品は中国に送っているとコメント。この先どうなるのでしょうか。

(一般)

1)コロナ問題
  水曜日の陽性率は1.68%と10月9日以来の低い数字でした。毎週、状況が良くなっています。
  厚生大臣は第4回目の接種は来年2月15日以降を考えるとしました。
  クリスマスと年末年始に国民が騒げば、来年2月にまたコロナの悪い波が押し寄せると言う注意が出ています。今年9月の建国記念の時と同じ注意書きですね。もっとも新変異種はそれほど大きな影響を与えないと言うニュースもありますが。
2)マプチェ問題
 アラウカニア州で3カ所の森林火災が発生。家屋への放火もありました。また銀行ギャングを逮捕しようとした警察との銃撃戦で犯人の一人が死亡。現在、森林火災は一番燃えているのは9000ヘクタールまで燃えており、取り調べをしている警官が2名負傷したとか。
これらは偶然、同じ地区で起こったのでしょうか、それともその背後には同じグループが存在するのでしょうか。
その近くの州でも数台の重機が放火されました。また森林火災は多くの所で起きています。
南部に軍隊を派遣しテロ活動を抑えることになっていますが、こうして毎日・毎週同じような事件が起きるのは悲しいことです。ボリッチは少しは問題を軽減できるかな?
大統領選挙が終わって1週間たちました。今の所、大掛かりなデモや騒動は起こっていません。しかし次の政権時にアジェンデ政権の時のような、混乱が起こると言う噂は出ています。


以上

チリの風 番外編 小説「情熱」 その4:第9章~第10章 完

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第9章

どこで聞いたのか、フェナンドが真っ先に来た。
「おっ、燃えてるな」
アルベルトは荷物を片付け始めていた。
「目がギンギンだぜ。そうでなくっちゃ。俺はもう腐った魚のような眼の人間ばかり見ているから、お前の眼を見るだけで幸せになるぜ。いよいよやるんだな。すごいじゃないか。お前は全くジュリアン・ソレルだよ」
フェルナンドは一気にまくし立てた。アルベルトは苦笑しながら答えた。
「ジュリアン・ソレルとは良かったな。それで彼の真似をして赤いセーターに黒いズボンなのかい?」 
ジュリアン。ソレルはフランスの小説「赤と黒」の主人公で下層階級の出身だが、上のクラスを目指して駆け上っていく。
「冗談きついぜ。俺だって本くらい読む。チンピラの中ではインテリと言われている。いや、そんなことより何か頼みたいことはないか?何でもしてやるぜ」
フェルナンドはまるで自分がアルベルトをそそのかしたかのように、彼の出発をドキドキしながら見ていた。

この前、村に戻った時、部屋の片隅に歴史の本とか、アプラの機関紙が置かれていたのをちらっと見た。それで、自分にはもう不要なランプをどうにかして兄の所に届けてたいと思っていたから、アルベルトはそれにすぐに反応した。
「兄ちゃんの所に、この灯油ランプを持って行ってくれないか?これさえあれば、彼は夜にゆっくり本が読めるもんな」
「お安い御用さ。すぐに持っていくよ」

何人も友人が来て、帰って行ったあと、マリアが入って来た。彼女は泣いていた。フェルナンドはそのときまだいたけど、すぐに立ち上がった。
「フェルナンド、明日、俺が出て行った後、ここに残った荷物は全部君のものだ。どうとでも処分してくれ。頼んだよ」
「分かった。元気で行ってくれ。いつかお前の噂がリマから流れてくるのを楽しみにしているぜ」
アルベルトとフェルナンドはしっかり抱き合った。

フェルナンドがマリアにウィンクして出て行ったのをアルベルトは気づかなかった。フェルナンドが行ってしまってもマリアは泣いていた。
「マリア、こっちにおいでよ」
アルベルトはマリアをベッドの隅に座らせた。
しかし今、謝るべきか、彼女を励ますべきか、それともなんか釈明すべきか分からなかった。出発の喜びを言う時ではないとは分かっていた。
言葉の選択をしているだけで時間がたっていく。
会話はマリアから始まった。
「行かないで、アルベルト。行かないで。もう一度考えて。もう一日待って。あなたは浮かされている。だからもう一日待って」
「できないな。マリア。明日なんだ」
「お願い、行かないで」
マリアはまだ少し泣きながら話をした。同じことを繰り返した。
「止めてくれ、マリア。お願いだ。行かせてくれ。俺は行きたいんだ。ダメだったらあっさり戻って来るよ。今みたいに。一日で戻ってくるかもしれない、寂しいって言って。その時は笑わないでくれるかな。でも、いいだろ、行ってきたんだから。本人の気が済めばそれで十分」
自分の言葉に乗せられてアルベルトは話し続ける、
「そんなんじゃないわ。もうあなたは自分を失っている。ただしゃべっているだけよ」
マリアは泣くのを止めてアルベルトを見つめた。
「あなたはもうここには戻ってこない。私の所に戻ってこない。あなたは・・・」
言葉の切れないうちにアルベルトは両手でマリアの顔を包んだ、二人は黙って目を見つめあった。そのまま数分経った。
すべての空気が沈黙した。
次の一瞬、アルベルトは「行く」、マリアは「行かないで」と叫んだ。
マリアはアルベルトにしがみ付いて泣き始めた。その勢いで二人はベッドに倒れこんだ。
マリアはアルベルトの胸の中で泣きじゃくった。
「どうしても?ねぇ、アルベルト、どうしても?悪かったわ、叫んだりして。もう泣かないわ。でも今晩、遅くまでここにいても良い?帰りたくないの」
「いいけど、叱られないかい?」
「いいの」 
ベッドに並んで横になって話が続いた。

最初に会った頃の話から始まったが、
「もう5年もたったんだね」とアルベルト。
「あなたも随分、大人になったわ」マリアが応える。
その次に二人に共通の友人の話になった。
「ところでコーヒー飲むかい?」「ええ、お願い」
クスコの近くのキジャバンバでコーヒーが取れるので、ここではおいしいコーヒーが飲める。
「ねぇ,アルベルト。フェルナンドは良い友だち?」
「そうだよ、どうして?」
[私,あの人嫌いよ。ずっと前、あの人、私に付きまとっていたことがあるの」
「本当?知らなかった」
「私の家の所に毎晩来てたの。その事で、私の父にすごく文句を言われたので、諦めたみたいだけど、それを逆恨みしたの。私があなたを好きなことを知っているので、あなたの事務所のテレサさんに近づいていろいろ言ったのよ」
「えっ、何だって」
突然、テレサの名前が出たのでアルベルトは焦った。
「びっくりした?フェルナンドがテレサさんに、アルベルトはあなたに気があるから、ちょっとからかってみな。小僧っ子だけど、からかうと面白いぜ。と言ったのよ」
アルベルトはもうコーヒーどころではなく顔色が変わった。
「あなたはその通り、あの人に振り回されたわ」
アルベルトはしばらく下を向いていたが、「許してくれ」とつぶやいた。
遅すぎるか、こんなことになるとは,と自責の念があふれた。
マリアはしっかりとした口調で言った。
「今日と言う日はこれからの人生の最初の日と言う諺があるわ。だから決して遅すぎはしない。もう一度考えて。あと一日だけ出発を送らせて」
「頼むよ、もう繰り返さないでくれ。君は僕をそんなに愛してくれている。なのに僕は君に胸が張り裂けるほどの苦しみしか上げられないんだ。それが僕なんだ。僕の人生なんだ」

二人は言葉を失ったまま抱き合った。
長い時間がたってからアルベルトが口を開いた。
「ねぇ、マリア。ずっと前にサクサワマンの遺跡の後ろの丘に登った時、人生は風だっ
て話し合ったよね。確かあの時は,話が途中までになってしまったけど、あの話をもう一度してよ。なんだか、君の意見が聞きたくなった」
「大したことはないわ。いつかふと思ったの。人生は風だって。どこから吹いてくるのか、どこへ行くのか分からないのが風でしょう。人生と同じだわ。それに風は動いているわね、止まることなく。強くまた弱く。そして止まった時が風の終わりよ」
「人生の終わりかい?」
「かもしれない。そしてまた新しい風が生まれる。風は自由、どこへでも吹いていく。それが人生じゃない?」
「でも、マリア、僕には君はずいぶん達観しているように思えるな。じゃ、リマに行くんだって喚いている僕は見苦しいだろう?」
「そんなことないわ。あなたの夢って素敵よ。風に行き止まりなんかないわ。回れ右っていうのはあるかもしれないけど」
「風みたいにいつも無色でいられると言いな。だんだん薄汚れていくって考えると死にたくなる」
「年の事?だめよ、本当に風なら右や左に旋風を巻いても、後悔とか後ろめたさ、そして嘘・残念とか諦め・・・そんな感情が入る余地はないのよ。それできっとうまく行くはず」
「ありがとう、勇気が湧いて来たよ。でも、さっきはずいぶん、僕がリマに行くのに反対していたのに」
「今でもそうよ。離れたくないから、それだけよ」
「じゃ、リマに一緒に行かないかい?今でなくても、しばらくしてからでも」
「だめよ、アルベルト。私はここでしか生きていけない。クスコの人間よ。もう話は散々聞かされているわ。リマに出て行った人の話をね。私たちインディオは高地のここが性に会っているのよ。低地のあんなごみごみした所で、ケチュア語の全然分からない人と一緒に住んでいけないわ。外国よ、私にとっては」
「僕たち、どうなるのかな?また会えるよね」
マリアが答えないので再度口を開きアルベルトは言った。
「だって風だったら、きっと巡り合えるよ」
「・・・・・」

アルベルトは心の不安を抑えようと、一方的に話をしたが、マリアはアルベルトの肩に顔をうずめていた。
自分はマリアを愛している。彼女と人生を共有したい。これからもずっと。じゃ、どうしてこんな風に別れてしまうのか。そう考える自分とリマに行こうとする自分は何が違うのか。

「愛しているわ。今日でもう会えなくても」
マリアの最後の言葉だった。アルベルトも自分の言葉が全く意味をなくしていることに気づき愚かなおしゃべりを止めた。
マリアとアルベルトの二つの風は、高く低くいつまでも走り続けた。
マリアが家に帰るまで。

第10章

次の日、 アルベルトは11時半のリマ行き最終便に乗った。
以前、自分が働いていた店を遠くから見るのは不思議な気がした。搭乗手続きをし荷物を預けてから、その土産物屋店の地区に向かった。マリアに挨拶をするためだ。この旅は二人にとって、ほんの数か月なのか、永遠の別れになるのか分からないが。

マリアは昨晩、彼と別れてから、もう彼にリマに行かないでと言うのは止めると決めた。その頼みは現在の彼には意味をなさないからだ。彼がリマで成功するかどうかわからない。さらにそのままリマに住み着くのかもわからない。しかし彼女の心の底には。リマでの成功の是非にかかわらず、彼はクスコに戻ってくる。そして私の所に来ると信じたのだった。
二人は涙をにじませた目で見つめあい、ほとんど言葉を交わすこともなく最後に抱き合った。

彼は飛行機に乗るのは初めてだった。窓から下にクスコを見ると、自分はそこから離れていくと言う不思議な感覚を持った。今までの歴史はこうして消えていくのだろうかと不安もあった。     
アンデスの山を越えると平野になり、リマが近づく。

飛行機を降りて荷物を受け取り、バス乗り場に急いだ。行先は決まっている。クスコ旅行社のリマ本店に宿泊所を照会したら、大学生が入る寮を教えてくれた。すぐにその提案を採用し、電話で予約を入れたわけだ。

1時間もするとその場所に着いた。もちろん初めての大都会、初めての地区、初めての経験でドキドキするが、それを自分で手探りで探し当てたと言う喜びは大きい。
そこは1室に2つのベッドがあり、部屋をシェアーすることになっている。トイレは共通で部屋にはない。その他にキッチン・食堂も用意されていた。もちろんアルベルトは気に入って契約をした。彼の計算では仕事がなくても食事を含め3か月は生き延びれるはずだった。
同宿舎のカルロスはその時はいなかった。
夕方彼が戻ってきて、自己紹介を始めた。
「俺は国立サン・マルコス大学で勉強している。(注 その大学は1551年に創立された南米で一番古い大学。そこから野口英世名誉博士号を受領している)もっともアルバイトして生活費を稼ぐ必要があるんだが。お前はクスコから来たんだったらクスコ大学の学生だろうな」
そう言われると自然に回答が出た。
「そうだよ、クスコ大学さ」
その瞬間に頭に大きな打撃が入った。自分を嘘をついている。
次の瞬間に、新しい嘘が出た。
「いや学生だった。政治的活動をしたので退学させられた」と言ってしまった。
嘘を少しでも薄めようとしたのだろうか。
長い会話の後、最後に、この週末にパーティがあるから一緒に行かないかと誘われた。もちろん、快諾した。
ベッドに入ってリマでの最初の夜を過ごすときに、自分の嘘に関して考え始めた。嘘をつくなとするインカの教えを子供の頃から実践してきたのに、それをどうして破ったのか。他の人への見せかけのために。自分の価値が下がったことを感じる。自分も嘘つきペルー人の一人だと。

翌日からアルベルトはリマの街を歩き始めた。先ずはカルロスに教えてもらってバスに乗ってから大学構内に行く道を歩いた。全く違和感はなかった。自分はここで学生として勉強できると感じた。そしてそこの学生食堂で昼食を取った。もちろんクスコのレストランよりずっと安い値段だった。学生向けだから当然だろう。
これで夕食を自分で作れば、当初の予定よりもっと余裕が出てくる。クスコにいるときから、食事を自分で作れるようになっていたのが役に立った。
週末のそのパーティには10数人が集会所に集まり、会費を払ったが、テーブルに置かれた飲み物と軽いスナックを楽しみながら話が弾んだ。大半が大学生だった。いろんな人と話をしたが、アルベルトは全く正常に全員と会話を楽しんだ。インディオと馬鹿にされることはなかった。

その中の一人、カタリーナと話が進み、次は二人で会うことになった。白人の女性とのデートの約束だ。
親父がインディオの男が白人と歩くのは厳しい目で見られると言っていたが、今でもそうなのか、今はかなり緩んでいるのか、経験がないし、知人もいないからわからない。
その日、街の中で会って、二人は公園に向かって歩いた。途中で、まるで今までもそうだったかのように手をつないだ。親父がこれを見たら何と言うだろう。
アルベルトの考えは他の男女のデートと大きく異なっていた。彼女との関係をどう進めるかではなく、彼女と歩くのはどう見られるかと心配していた。もちろん、二人の間では、何をしているか、何をしたいかなど大人になる前の青年が話す通常の話題を楽しんだ。彼女は、「もしカルロスみたいに仕事がしたいなら、父に頼めばすぐに見つかるわよ」と言った。
父の親友が会社を持っていて、そこで人を捜しているからとか。

また新しい風が、しかも迅速に近づいてくる。自分は幸運な人間だとアルベルトは感じた。
クスコの時と同じように、次の日から働き始めた。
すべてが順調に進んでいるように見える。
クスコにいる時よりずっと充実している。希望が自分の手の中にあるのを感じる。

珍しく、週末のリマに雨が降っている。
もちろん山間部のクスコのように雨空が全天を覆うような堂々とした雨ではないが。
同宿のカルロスは1週間、アレキパに向かったので一人になった。
土曜なので仕事はなく、外に出ることもなく部屋の中にいた。アルベルトは表面的には成功しているように見えるが、自分の生活力がいかにもろいものかと言うことをしっかり理解している。
実際、親父は短かったかもしれないが、リマでの生活を自分の手で築いた。
ところが、この自分はそれを嘘で始めてしまった。
クスコ大学の学生だと言ったのがその始まりで、政治的活動をしたので退学させられたと言ってしまった。最後にここで何かを学んでそのうちクスコに戻ると言っている。それは本当だが。

今の会社はカタリーナの父親の縁故で入ったものだから、経歴詐欺で解雇されても何とも言えない。
もっとも仕事の話が出たとき,「私は経歴はないことにして履歴書は出さない。従って見習で採用しほしい」とし、「その後、私の仕事が認められたら正式契約を結んでほしい」と逃げた。
嘘はついたが、それを書いたもので残さないよう狙ったわけだ。

仕事は順調に覚え、うまく行っている。
そこは商社で、仕入れをして販売をする。消費者に売るのではなく小売店に。つまり利益が少ないので大量販売する必要があった。どこから買うか、どこに売るかが最大の課題になる。入社した時の給料は20000円だった。クスコ旅行社の時の給料・チップの合計よりは下がったが、家賃がこっちの方が安いので、実際はそれほど大きな差はない。
入社してすぐに仕事でミスをした。単純なエラーで計算を過ち、収益が実際以上に計上されてしまった。課長の皮肉が心に応えた。

付き合い始めてしばらくしてから、カタリーナが僕に愛していると言った。そうなれば良いと今まで思っていたから、大成功と言えるが、今の自分には荷が重い。
カタリーナの両親はずいぶん親切にしてくれる。今日も昼食に招待し歓迎してくれた。
初めて彼らの家に行ったときは緊張した。白人家族の家に行ったことがなかったからだ。もちろん、少し落ち着てから、インディオの家族とどう違うのか、どうすれば彼らのレベルに自分たちが近づけるのかと考え始めた。カタリーナの父は農林省の役人で、彼女の兄は現在、ペルー南部で就職している。

アルベルトの考えは、以前から考えていたように、教育が両者の間の大きな差になっているというのが結論になった。
義務教育だけでなくその上のクラスに、どうすればもっと多くのインディオの子供を送れるかと言うことになる。無料教育の他に国がその子供に奨学金を出すのが一番、簡単で有効な方策と考えられた。

ところで、何回か招待されてから、カタリーナの両親から、二人がこれからも仲良く付き合って、最終目標まで行ければよいのにと、まるで僕たちの結婚を認めていると言うような発言もあった。つまり白人とインディオの間に飛び越せない溝は無いと言うことが確認されたわけだ。村で人種問題を何回も話し合ったが、こうしてまた聞きではなく自分自身で、平等は有りうると言うことが分かった。

今の僕が認められているのだから、過去の嘘は気にしないでもいいじゃないかと心のどこかで思っている。もちろんインカの掟からそんな風に逃げているのかもしれない。
しかしクスコにいるときは孤独感とか疎外感を味わったことはなかったのに、ここに来て最近随分寂しく感じる。こんなに人が周りにたくさんいるのに。それは自分の心の問題から来るのだろう。

クスコを出て随分たった。
クスコの思い出が、こんなにも自分に染みついて消えないとは思っていなかった。
あんな子供頃の思い出が、頭の中に大きなスペースを占めている。その頃の自分なんて何の価値もないとさえ思っていたのに。今となっては懐かしくてたまらない。
もちろん、マリアと過ごした二人の時間が替えがたい値打ちを持っている。そのためリマにいる自分は人生を楽しんでいるのか、無駄に過ごしているのかはっきりしない。

いつものメンバーで、カタリーナを含め6名でワラスの方に週末キャンプに行くことになった。彼女は時々、インディオがいなければペルーはもっと発展するのにと言った類いの発言をする。
その週末のキャンプは無事に終わり、宿舎に戻って来た。
違う週末に、ディスコに行った。カタリーナたちははしゃぎまくる。金持ちたちのいやらしさが我慢できない。
もう人生が終わったと言う気がすることがある。もう何だか、世界をみんな見てしまった気がすることがある。
21歳の自分が世界を見終えるなんてありえないが、31歳の人や41歳の人はどう言うだろう。でも、これから先の10年・20年で自分が何をできるか考えたら、もうこれ以上、付け加えることはないような気がする。
純粋さの替わりに狡猾さ、恥じらいの替わりに傲慢さ、神々しさの替わりに厚かましさ。醜さが自分についていくのが目に見えるようだ。リマに来てなにを学んだのか。何をやったのか。

仕事の話では、彼の経営改善案が取り上げられた。在庫管理の徹底と人員の適正配置が重要とした。それに季節的な労働量の変化を、ただ労働者の増減と言うように安易に考えず、仕事量の平均化を図り、労働者を定着させ、質を向上させるべきとした。
カタリーナの父親も随分ほめてくれた。

カタリーナと二人でいるのが難しい。
カタリーナと付き合い始めてかなりになるが、本当に彼女を愛しているのだろうかと思う。燃え上がる喜びなんか感じたことはない、彼女が白人だから、最初デートをしたときはうれしかった。その頃を思い出すと逆に惨めな気になる。クスコ旅行社でテレサに憧れたことがあったが、カタリーナと恋愛関係になっても嬉しいとか満ち足りたと言う気持ちがしない。

一人でいると耐え難い、何もする気にならないのだが、その癖、何かしなくてはと言う思いにとらわれる。

彼女と別れるのは簡単だが、それはこの仕事を止めることにつながるだろう。カタリーナの父親が私のことを調べれば、嘘がすべてバレるだろうから。
しかしそれを避けるために彼女といる、彼女の恋人になると言うのは耐え難い。
もちろん、考えられるのは貯めた貯金をすべて持ってクスコに戻り、そこで仕事を始めることだ。もちろんマリアに会えるだろう。今は時々、手紙のやり取りをしているが、電話で話したことはほとんどない。フェルナンドもリマまでは情報網がないから、ここで自分に起こっていることを把握はしていないだろう。クスコへは手紙が送れるが、その奥の村には郵便システムがなく、親には手紙が書けない。

営業がうまく進み、安定した会社経営が続いてる。つまり現行の経営方針は正解と言うことになる。そしてそれをいかに改善していくかが次の課題になる。
アルベルトは履歴書も書かず、見習で入社したが、その後、順調に自分のいる場所を確保していった。中小企業だから、そのまま行くと係長・課長・部長に進むだろうと思われた。
カタリーナの父がそれを教えてくれる。

しかし思いもかけぬところで、破綻が入った。
ある日、社長のマルチネスが彼を呼んだ。
「アルベルト君。君は毎日良く働いている。その毎日の努力が積み重なって実績となっている。他の誰にもまして会社に貢献しているのは明白だ。そこで君を昇進させようと考える。君は入社した時は2万円の給料だった。1年後に昇給して2.5万円になった。そして今回、まだ若いから部長は無理だが、課長なら大丈夫だろう。明日から君を本社の課長にしたい。給料も上がるし、役職手当がつく。つまり課長の給料は合計5万円になる。しかし、その手続きをするために君の履歴書が必要だ。すぐに用意して明日、総務の方に渡してくれないか、頼んだぞ」

一晩、ほとんど眠らないで考えた。嘘を確認するか、嘘は止めて正直な自分に戻るかだ。
課長で5万円なら、部長ならもっと上がるだろう。この会社が発展すれば、自分の将来は完璧になる。しかし嘘をついてその地位を確保するのは、インカとして認められる・許されることだろうか。
親父は何と言う?「アルベルト、そこから戻ってこい」だろうな。

母ちゃんや姉ちゃんの死を忘れられない自分はこんな虚偽の人生を楽しめるはずがない。じゃ何故、今までここにいたのだと言われれば、面子をなくすが、こうした局面で、それを忘れて嘘つきを続けることは不可能だ。

ここから逃げ出すのではなく、社長とカタリーナの父親に正直に頭を下げよう。それから後始末をしてきれいに辞めよう。荷物をまとめてクスコに帰るのだ。
今までの自分を見れば、仕事はどこからか回ってくるのは間違いないだろう。

翌朝、社長室でマルチネス社長と向かい合った。
「アルベルト、もう履歴書は総務部に提出したかい?」
「実は、その件でお話しさせてもらいたいのですが」
社長は怪訝な顔をする。全く何を話すのか想像できないからだ。
「私は嘘をついていました」
アルベルトは言い訳ををするのではなく、淡々と真実を語った。
山の中に住んでいた時期から、クスコに移って、実施した3つの仕事を語った。そこを出て
リマに来たこと。そこでカタリーナに知り合う。彼女の父親の助けで、この会社に
入れたこと。
つまり、学歴に関しては小学校の卒業だけで、その上の学校には全く関係していない。
自分が言ってきた学歴はすべて嘘でしたと結んだ。
ただクスコの3社で働いたので、その経験が生かされてここでの実績になったとした。

マルチネスは驚いて口を開けたままボケっとしてしまった。

「よし、出て行きなさい」とだけアルベルトに言った。
「幹部職員会議をして結論を出す。君はこの事務所に残っているように」
そして上級社員を緊急招集した。

アルベルトは決心しているから、会議がどう動こうと驚きはしない。しかし、ここを逃げ出そうとも思っていない。ちゃんと解雇を宣言されてから、この事務所から出て行こう。それが彼の決心だった。

この段階で彼は結論を出していた。早急にクスコに戻る。生活費を稼ぐため、民芸品の店を開く、空港か市内に。費用と所持金を計算しながら。そこで助手としてマリアに働いてもらう。
私生活では彼女と結婚する。親父が言ったように愛はカネでは買えない。
しかし、ここに新しい局面が入る。それは政治への参加だ。確かにキューバのような軍事革命を考えることはしない。しかしインディオを保護、援助する組織としての政党に入る。もしくは新しい党を作る。そしてペルーの中にしっかりした足場を築きたい。左翼でも右翼でもない、インカ党だ。もう2度と学歴の嘘はつかない。小学校卒で、皆さんのために働きたいとする。有名人にも権力者にもなりたくないが、他の人を助ける仕事を一生続けたい。
もちろんクスコ・リマでの仕事の経験は大きな基礎として使えるだろう。

会社の結論を待つ1時間半の間でここまで考えをまとめた。

マルチネスからお呼びが入った。
「会議室に来てくれ」
課長職以上の6名がそこにいた。明るい顔をしたのは一人もいなかった。逆に顔が引きつっているとさえアルベルトには思えた。
「結論を言う。君は虚偽の情報を使用して入社した。従ってそれが明白になった今日で、本社の職から外れる。ただし、将来の可能性として君とのコンタクトは残しておきたい。君の虚偽の履歴ははっきりしたが、逆に君の今日まで見せてきた仕事ぶり・能力はここで働くのに十分な価値がある。
じゃ何故、解雇するのだと言われそうだが、詐称使用は認められない事が第1だからだ。
しかし、君の能力を知ったので、その真実の資格で、つまり小学卒として君を再度、雇用することは考えられる。それは当社がクスコに支店を出す時、そこで働けばどうだろうとするものだ。いつからと言う細かいことはまだ決まっていない。しかしいつかの段階で、それが実行されるのは間違いない。だからこそ、君とコンタクトを残しておきたいと言うわけだ。
君の方から時々、様子を知らせる手紙を送ってくれないか、それは私たちにとって重要な情報になるだろう。
こういう条件から、今月分の給料は全額払う、それから1年で1か月として2年分の退職金を支払う。
さらに将来のコンタクトの費用として、もう1か月分の特別ボーナスを出す。
これが今日の会議の結論だ」

また新しい風が吹いた。アルベルトにとってこの結論は、会社を首になったのか転勤になったのか分からないほど良いニュースだった。
リマを去ってクスコに戻る作業が始まった。

カタリーナとその両親にコンタクトする。その夜、彼らの家を訪問した。
先ず、長い間の三人の援助、暖かい交流を感謝した。正直に、自分のついた嘘から退職することになり、故郷のクスコに戻ることになったと告げた。
直接は言わなかったが、カタリーナとの愛はここで終わる。カタリーナと一緒になりたいから新しい仕事をリマで探す気はないし、彼女を連れてクスコに戻る気もない。
このニュースを聞いた三人にはショックだったが、大きな問題はなかった。マリアが泣き叫んだのとは全く異なり、カタリーナは軽くお別れのキスをしただけだった。父親は彼を抱きしめ、君は優秀な人間だとほめる言葉を送った。母親はあなたのことは忘れられないでしょうと優しく挨拶した。     
アルベルトは彼ら三人に会わなければ、リマでの生活は大きく違っていたことを理解していた。従って、今日の挨拶・お礼は口先ではなく、心の底からの表現だった。彼らに会えて幸運だった。アルベルトは彼らの家を出て自分の住居に戻る。

思い出す、クスコを出た最後の日の混乱の様子を。しかし、今は違う。前回と同じように毎日の生活を全て新しくするのだが、クスコでの新生活では安心と安定が予想される。
何をするか、何が出来るか、何を望むかはちゃんと頭の中に入っている。
先ず飛行場でマリアに会って、自分の情況・考えを伝える。もし彼女が自分を受け入れてくれるなら、結婚したいと告げる。
住居は以前住んでいたところにしたい。そこが無理なら、その近くの部屋を捜す。
そしてクスコで住む場所が決まったら、商売のための店舗を捜す。商品の仕入れとか販売は経験があるから全く心配はない。
もちろん、リマの商社とコンタクトを続け、彼らがクスコ支店を設けるときは、土産物店とは別に、その支店長として働くことになるだろう。
それから興味があるのはインカ党で、既存のグループもしくは政党とコンタクトし、インディオ保護・援助のアイデアを実行したい。それがうまく行かなければ新グループ設立を図りたい。可能なら県会議員や国会議員になって仲間のインディオを助けたい。
もっと小さなことだが、クスコ周辺の学校への援助を即時提案したい。例えば、先生の数を増やす、生徒に給食を用意するなどだ。もちろん、奨学金もそのアイデアの一つになるだろう。  
話は変わるが、兄とは今までコンタクトがなかったが、クスコに戻った自分の計画に彼がどのように関わってくれるか楽しみだ。その時は、父は村で一人暮らしになるのかな?それともクスコに出てきて、兄の場合と同じく自分の事業・計画に参加してくれるかな?

さぁ、クスコで、どんな風がアルベルトを待っているだろう。彼はリマの空港でクスコ行きの便を待っている。


チリの風 番外編 小説「情熱」 その3:第7章~第8章

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第7章

アルツロ親子は自分たちの家に戻った。火を起こし、先ず茶を入れる。飲み終わると、パチパチと火の音があたりの重い静けさを、時々破るが、それ以外は咳一つない。
「なんて言う人生だったのだ」弟が口を切った。
「貧しい中で働き、惨めに死んでいくなんて。なんて言う人生だったのだ。俺は姉ちゃんが好きだった。随分と優しくしてくれた。兄ちゃん、そうだろ。厳しい毎日でも愚痴一つこぼさず・・・何てことだ。一体、俺たちの神様はどこにいるんだ。くそったれが」
「そんな風に言うんじゃない。これも神の思し召しだよ。決められたことだよ。何事も悪く言ってはいけない。誰もが、それぞれの力を出して生きているんだ。そう、成るようにしか成らないんだ」
父親は飲み終えたコップを手にして、つぶやくような声で話した。
「何で、俺たちが貧乏で、山の上のこんなところに住んで、町のあいつらに見下されていなければいけないんだよ。人間は平等とか、生まれながらに自由だとか、学校でも教会でも聞いたけどな。いったいこの現実はどうなんだ。兄ちゃん、俺は今、働いている。そして金を貯めている。あいつらに負けないように。遊びになんか行かないよ。勉強ばっかりだ。俺はもうインディオと馬鹿にされながら生活するなんて嫌だよ。俺はいつかリマに行く。事業を起こしたいんだ。最初は小さな商売でもね。俺は成功したい。他人を蹴落としてでも上昇したいんだ。そんなことを本気で思っている。いったん気を抜くと、今の暮らしに満足してしまう。するともう絶対動けない。貧乏に慣れちゃうと、意欲まで無くなってしまう」
長い間、はけ口を見いだせなかったアルベルトが一気にぶちまける。
しかし、それが許されるのは家庭・肉親と言う暖かさの中にいるからだが、アルベルトはそこまで気が付かなかった。
兄はとうとう最後まで一言も口をきかず炎を見つめているだけだった。
アルベルトはふとそれに気づいて言った。
「兄ちゃん、どうして黙っているんだ。馬鹿になったのか?」言い終わって拙いことを言ったと思ったが、元には戻されない。
アルバロは父と同じように低い声で、しかし力強く話し始めた。
アリシアの事を考えていたんだ。アリシアは美しかった。お前が今、着ているようなきれいな服は着たことがなかったが、それでもやっぱり美しかった。お前のような暮らしはおくれなかったが、彼女はそれでも幸せだった。しかし、お前が思い煩っているようなことを悩むことはなかっただろう。子供の成長を喜び、夫との労働に感謝をしていた。貧乏かどうかは人間の本質ではないんだ」
「それはごまかしさ。そんな風に思って騙され続けてきたんだ。すべてが、あいつらと同じようなレベルになったら、初めてそう言えるんだ。アリシアだって金があって、医者にかかって、もっと良い薬を飲んでいれば死なずにすんだんじゃないか」
アルベルトは突然、泣き出し、もうわめいているような大声でしゃべり続けた。
「公式論や美しい人生論はもう飽きたんだよ。現実はどうなんだ、現実は。田舎のインディオの家に生まれたのと、町の白人の家に生まれたのは運が良かった・悪かったと言うことだけで済まされるのか。もともとここは俺たちインディオの土地ではないか、ペルー人だって、元々のペルー人は俺たちだ。それをスペイン人が来て汚い手を使いやがってインカを滅ぼし、その後のあくどい手口はどうだ。教科書にまともに書けない歴史じゃないか。インディオを奴隷として死ぬまで鉱山で使い、その一方、インディオの女性に自分たちの子供を犬か猫のように生ませていったのだ。それが混血児だろう。
そして、そのスペイン人直系の子孫が、悪者の子孫が、なぜ今も俺たちの上にふんぞり返っているんだ。
おまけに彼らの人殺しは罪にならないが、インディオ の側では逆だ。ツパック・アムルーの場合は反逆罪で死刑になっている。それが頭に来るんだ。都合の良いときは法律だからね。一体白人のあいつらが、ここにいる権利があるのか?」
(注 ツパック・アムルはスペイン人にクスコを占領された後、インカが逃げ込んだビルカバンバを基地にして反スペイン活動を続けたが、最後に逮捕され反逆罪で処刑された。そのビルカバンバへ筆者はクスコから片道三日の厳しい旅の後、到着している)

アルベルトはそう言いながら、突然、ちらっと、テレサの顔が浮かんだ。テレサのためなら奴隷になっても良いかなと思い、一瞬顔が赤らんだが、すぐに頭を振って馬鹿な思い付きを打ち消した。
「兄ちゃん、小学校で手伝っているんだろ?」
「うん、そうだ」
「じゃ、兄ちゃんだって、ちゃんと考えて実行しているんじゃないか。僕だけに、まるで犬が吠えるようにしゃべらせないでくれよ」
そこに来ると突然、アルベルトは声を小さくして話した。
兄がそれに答えた。
「そんなわけじゃないよ、自分は。この国に一番必要なのは教育だと思う。教育が何より遅れているんだ。ペドロ先生は良くやっているけど、子供が40人もいて、全学年が1クラスだからどうしようもない。そこで1,2年のちびに僕がアルファベットを教えているんだ。教科書を読めないようでは生徒じゃないからね」
「それはそうだよ。それで兄ちゃんは子供を反政府にするよう教えているの?」
「何だって、それ?」
「だって、兄ちゃんはアプラ(反政府の政党)だろう?」
アプラの機関紙が家にあったのをチラッと見たからだ。
「その話は今してもしようがないな。僕は子供に正しいものを正しいと判断できるような眼を作ること、それを自由に発表できるような社会を作ることを教えたいのさ」
「出たね。甘っちょろいユートピア思想が。革命はね、ゲバラのようにしなければ駄目なのさ。政府のあいつらときたら、軍隊にばかり給料を払いやがって、自分たちの用心棒にしている。この間だって、クスコの中心地のアルマス広場は、デモ隊を抑えるため軍隊の撃った催涙ガスがひどくて歩けなかったよ。知ってるかい、あの弾一発で5千円もするってことを。軍隊の奴ももったいないと思って撃っているのかな?いや、奴らにユートピア精神なんて無理と言うものさ」
アルベルトはここまでからかったような調子で話してきたが、再度ここで声の様子が変わった。
アリシアの死はね・・・犬死だよ。あんな素晴らしい人間が犬死だよ、兄ちゃん。ヨハネ福音書にあったね、一粒の麦もし落ちて・・・なんて。アリシアはそんな一粒の麦のはずだよ。それなのに・・・」
「お前がそういうだけで、アリシアは一粒の麦になっている」
父のアルツーロは息子の最後の言葉に少し顔をほころばせた。

「腹、減ってないかい?」父親が急に話題を変えていった。そして鍋からスープを皿に取り二人に渡した。
この地方の貧しい家庭は食事と言えば、先ずスープになる。季節によって芋やトウモロコシが入っているが、年中変わらないと言えるほど変化には乏しい。

親父はスープを少し口に入れると話し始めた。
アリシアの死はひどく悲しい。確かにアルベルトの言うように、もし町の病院に入っていれば良くなっていたかもしれない。それが出来なかったのはただ金がなかったからだと言われれば、そうかもしれない。しかし村の人間が町の病院をひどく嫌っているのは、お前も知っている通りだ。ここの人間は・・・」
アルベルトは父親の言葉をさえぎり話し始めようとしたが、一言だけにした。
「非科学的だ」
父親は続けた。「ここの人間は自然治癒力を信じていて、回復をじっと寝て待つ。生薬は信じるが、化学薬品は信じない。だからアリシアは不幸にも若死にしたが、寿命だったんだよ。アルベルト、そう考えてくれ。生死と言うのはやはり決められたもので、逆らえないものと思うよ。ところで・・・」
父親はここでスープをしっかりすすり終えると、一息入れてからまた話し始めた。
「実を言うと、アルバロ、アルベルト、お前たちに今まで詳しいことは話したことがなかったが、今晩は何だかちょうど良い機会のような気がする。実はこの俺も若いころ、アルベルトのように考えたことがあるんだ。で、あのプエルト・マルドナードに金を捜しに行ったんだ。20歳になる前だった。そして金を掘り当てたんだ。掘ったと言うより、川からすくい上げたんだけれど。砂金だった。運があった。勘も良かったんだろう。少しの間にかなりのまとまった砂金を手にしてそれを売った。つまり金を稼ぎ出したんだ。俺のほかにも何人かそういう幸運な奴はいた。ところが彼らはそれを博打・女に使ってしまう。俺はその金で雑貨を購入した。それまで親方衆と言われる奴らが、現金でなく給料払いでその生活必需品を売っていたんだ。もちろん法外な値段さ。通常の3倍とか5倍の値段でだ。そこで俺が適切な値段で売りに出すと、売れた、売れた。
値段はそれまでよりかなり下がったとは言え、俺にとってはぼろい儲けさ。たちまち人がうらやむ金持ちになっていった。そうなれば俺が働く必要はなくなった。荷物を背負って町と労働者の間を売り歩くのは他人にやらせた。俺はリマの良いところに家を買ったよ。
そんな不思議そうな顔をするな。そういう時期が本当にあったのだ。女中を使って結構な暮らしさ。美味しいもの食って遊び呆けていれば金が入ってくる。そうだな、かれこれ2年ちょっと続いたな。競馬にも凝った。大穴当てればどんちゃん騒ぎ。すっかりすってしまえばがっかりして、飲みまくる。もう入ってくる金を全部使ってしまうと言うことよ。それから・・・」
父親は一区切りをつけてから、声を小さくして続けた。
囲炉裏に薪が少なくなったのでアルバロが立ち上がり、薪を持ってくる。
「それから結婚もしたんだ。お前たちの死んだお母さんは俺にとっては2番目の妻だった。いや、実際は一番目の、唯一の妻だったのだが・・・。つまりその頃、アルベルトはどう思っているか知らないが、俺の若い頃は、俺たちインディオが白人の女性と結婚するのは実に目の玉が飛び出すほどの事だったんだ。白人の男がインディオの女性と歩いていても、どうせ妾ぐらいだろうと思われるが、その逆にインディオの男性が白人の女性と歩いていると、下男だろうと思われていた。ところが俺たちの場合、そんなもんすぐにわかる。天地がひっくり返るほどの大事件だ。そこで俺は金で女を買おうとしたんだ。もっともそんな女性だから、当時の白人社会では鼻つまみ者だっただろうが、俺には知ったことではない。とにもかくにも俺たちは結婚した。そいつは再婚だったので教会での挙式はできなかったが、そこらの一流レストランを貸し切って華々しくやったよ。もうパーティのお終いには誰の結婚式か、何があるのかもわからないほどの混乱で、知らないやつが押しかけてきてただ酒を飲んでいった。あとで考えれば、それが破産の第1歩だったよ。
昔はそういうバカ騒ぎが時々あったのさ。
おまけに大福帳的経営の時代が終わって、行商からしっかりした店舗を構えて事業を起こす風に変わっていたのに、その先行投資を怠ったので、商売は先細りになっていった」
父親は実に淡々と話したが、アルバロもアルベルトも初めて聞く父親の話に驚いてしまって口もきけないほどだった。
アルベルトは後でクスコに戻ってから親父はどういうわけか小難しい言葉を使っていたなと思いだした。

「それから半年もするかしないかのうちに、すっかり行き詰まり、借金のかたに品物を置いて、それで終わり。嫁さんも破産した俺の所から逃げてしまった。俺は元のインディオに逆戻りだ。そうなったらリマなんて、あんな冷たい所はない。昨日の友は昨日の友。今日は知っちゃいないと言いやがる。たまには一日1万円も利益を出したことがあるのに、百円の土方の仕事はする気にもなれない。つまり乞食同然の暮らしにまでなってしまった。
落ちるところまで落ちてやれと思ったものの、その惨めさに精神まで腐ってしまいそうだった。うまく言えないが、例えばこんな風だ、寝台にノミがいる。それが分かっているのにそのノミを殺せないんだ。今日やっつけたところで明日また他のどこかから出てくるだろうって。
それから月並みだが、愛は金では買えないことが分かったよ。金があるより、自分を愛してくれる人と一緒にいる方がいいのだ。
そんな時、ありがたいことに俺には故郷があったことを思い出した。サッサと物を畳んで、リマを出て、1週間かかってクスコに戻って来た。そして村について差し出された温かいスープ、貧しいスープだったけどね、それに身体中が震えた。嬉しさで。
これが俺の人生だ。ここで誠実に生きるのだ、その思いが身体中に染み渡った。これで話はおしまいだよ。その後は、お前たちが知っている十年変わらぬここでの生活さ。この土地にしっかりしがみ付いてな。
しかしこれだけは言っておくよ、アルベルト。やっぱり大事なのはその人の暮らしぶりより生き方じゃないかな。外観じゃないんだよ。俺ははっきりそう思う。もっともお前の言うことにも当たっていることはあるけれど」


第8章

次の日、と言うより朝まで話し込んだが、アルベルトは町に戻っていった。数年ぶりに村に戻った日が、姉の臨終の日だったことと、父親の驚異の独白を聞いたことで複雑な気持ちになっていた。
ただ父の様に、自分もやっぱりリマに出て行くことになると言う予感は強くなった。たとえそれがどんな結果になるとしても。彼は良く夢を見たが、次の日の夢では、彼は何故か、この地方で唯一の町クスコを怖がっていた。

旅行社の仕事は、もう彼にとっては難しいものではなく、他のどの社員よりうまくやれると自負していた。いや、時々来るガイドの仕事だって、好評なのは良く分かっていた。観光が終わって客と別れる時の彼らの反応で、今日の自分の仕事がうまく行ったかどうか確認できるのだ。
18歳の誕生日を間近かにした日、このクスコ旅行社に勤め始めて満2年になろうとした日だが、一人の男が事務所に入ってきた。鳥の羽を付けた帽子をかぶった小太りのこの男は、クスコのガイド組合の委員長をしているアレハンドロだった。アレベルトが挨拶しても知らん顔をするか、大儀そうに手を上げるだけなので、あまり彼について良い印象は持っていなかった。その彼がアルベルトの所にやって来て「ちょっと話があるんだが」と切り出した。
「はい、何でしょうか」、
仕事がなく、机に向かっていた彼は直ぐに腰を上げた。
「いや、大したことではないんだが。君はこの1,2年ちょくちょくガイドをしているよね。しかし君はガイドのライセンスを持っていない。そのことでガイド組合の中でクレームが出ているんだ。ここの支店長にも話はしてあるんだが、ライセンスを持たない人間はこれから一切ガイドとして使わないと言うことになったんだ。規則をはっきりさせると言うことだな。で、君にもそれを伝えておくよ」
委員長はそれだけ言うと、返事も聞かずアルベルトの所から離れて行った。既に支店長とは話をしていたのだろう、そのまま事務所から出て行った。
何だって?彼の伝言をかみしめる。収入が減少するのは痛いが、それよりたまにでもガイドをすることは、事務所の仕事よりずっと自分の勉強になる。外国語を覚えると言うだけでなく、人生に影響するのだ、大げさに言えば。
それにしても今まで組合費をちゃんと取っておきながら、今更、急にそんなことを言い出すなんて。でも、しようがない、これに関しては諦めるしかないだろう。

支店長は相変わらず、彼に会うと頑張ってるねと愛想は良いが、肝心なことは何も言ってくれない。ガイドの件に関しても、一言くらい事前に言ってくれてもよさそうだが。
秘書のテレサは、彼女は以前にもましてアルベルトの心をつかんでいたのだが、この事件の後、もっと大変なことがあるかもよとすました顔で言う。いったい何のことかと聞いても、さぁとしか答えない。
彼女はたぶん、24か25歳だろう。年齢は調べればわかることだが、それさえ気恥しくてできない。アルベルトにとってテレサは妖しいまでの美しさで、向こうを向いていた彼女がこっちを向く時に揺れる髪の毛のシルエットの形だけで一日いっぱい甘い思いに浸っていれるほどだった。彼女はアルベルトの自分への気持ちを知っていてそれをからかっていたのだろう。
例えば、少し前のことだが、「次の日曜日、暇がある?だったら私の家のそばに来てみたら?」と言った。アルベルトにすれば誘われたと思って、マリアには日曜日だけど会社の仕事があると言って、朝早くからテレサの家の周りをウロウロした。しかし彼女は家から姿を現さなかった。自分がちょっとそこから離れたときにどこかに出かけたのだろうかと考えたが、何のことはない、その前の晩からテレサは支店長とリマの本店に行っていなかったのだ。本店と言っても日曜日だから、仕事かどうかは分からないけれど。しかしどうしてそんなことを言って揶揄ったのかアルベルトには分からなかった。実はこんなことが以前にもあったのだ。そのたびに彼の誇り高い気持ちは傷つけられマゾヒスティックな心の痛みを感じながら、彼女を憎めなかった。


あと1週間で満2年の勤続になった日、テレサがアルベルトの所に来て腰かけた。彼女は他の人より彼の名前を甘く伸ばして発音した。アルベールトと言う風に。
「来週であなたの契約が切れるわ。また1年契約を伸ばさなくっちゃね」
「どうして1年契約なんですか?あなたもそうなの?ミゲルやパブロもみんなそうですか?もう僕、見習社員から正社員になっても良いのではないですか?支店長はどう言っていますか?」
「あっ、知らなかったの?あなたは見習のままよ」
「どうして僕が見習なの?僕はもう2年も働いているし、支店長だって僕の仕事ぶりは知っているはずです」
「甘いわね、あなた。あなたは学校も出ていないし、ただのインディオでしょう。言葉ができるから重宝して使っているだけよ。だから、いらなくなったらすぐにクビに出来るように1年契約なのよ」
こうまではっきり言われたら、アルベルトでなくても打撃を受けるのは無理はない。相手がテレサでなければ最後まで静かに聞けたかどうか。アルベルトはウーと低く呻き、ヨロヨロと外に出て行った。

11月に入り雨期が始まっていた。ショボショボした雨が軒を叩いていた。ポンチョ姿の人が道を急いでいる。
アルベルトは白雪と言う喫茶店に入った。ここのコーヒーがクスコで一番おいしいと彼は思っていた。肌寒い日に湯気を立てて運ばれてきたコーヒーは旨かった。
店の前に裸足の子供が小銭をねだって立っていた。今の自分は、人のうらやむクスコ旅行社の制服のブレザーに替ズボンを穿いている。そして茶色のブレザーに合わせた茶色の靴。櫛が入ってきれいに撫でつけられた髪の毛。あの子たちとはずいぶん違う。にも拘らず、確かにあの子たちと自分の共通点は多いと感じる。切り離せないものがある。
それはあの子たちの目つきだ。傲慢なのに小心で、狡く生きている。間抜けだけど独立心があり、それでも他人の顔色を窺っている。あれは自分の目つきだ、アルベルトはそう感じる。
コーヒーを飲み終えるとアルベルトは時計を見た。11時だ。まだ間に合う。立ち上がると飛行場に電話した。共同電話でマリアを呼び出す。
「マリア、アルベルトだ。話をしたいことがあるんだ。昼食一緒にしよう。こっちに来る、そっちに行った方が良い?OK, じゃ、こっちで待つよ。いつもの所で1時半ね。チャオ」

事務所に戻ったけれど、その日の午前中はアルベルトには仕事が来なかったようだ。昼からの予定を聞くとテレサは笑っていたけれど何も答えない。私用の質問ではないのだからしっかり答えろと言いたかったが、だらしないことに、何となく自分も笑ってしまう。
自分の机に戻り、雑誌を開いた。
「リマの失業者、史上空前の数に。国家経済のピンチ・・・」いつも同じことが書かれているようだ。今までなら読み過ごしたところだが、その日はなんだか他人事ではない気がしてじっくり読んでしまった。雑誌の文は続く。「犯罪に走る失業者の群れ」「大量の失業者に政府は打つ手なし」「インディオは故郷の田舎に帰すべきだ」
確かに、都会に何かあると夢を見て田舎を出てきた人たちを待っているのは、そんな甘い生活じゃなかったわけだ。
しかし都市問題は何もこのペルーだけではない。大都会への人口の集中は全世界の問題だ。
アルベルトはそれを頭に入れながら、自分はそれでもリマに出て行こうと考えた。
「自分は違う。自分はできる。どんな生活にも耐えられる。決して犯罪者の群れに落ち込んだりしない。時が来れば、他人に言われなくても故郷に戻る。その潮時は分かる。そうまでして都会にしがみつきたいとは思っていない」

昼になり、ランチを取りに、事務所から三々五々と従業員が消えていく。雨は上がっていた。アルマス広場の近くのレストランに入るともうマリアは来ていた。
「早かったね。マリア」
「急いできたからよ」
「仕事の方は?」
「いつもと同じ、いやになっちゃうわ。変化がないんだもの」
「そうは言っても、変化のある仕事なんてどこにでもあるわけはないよ」
「どうしたの、今日は大人っぽいこと言うじゃない」
「そう言うなよ。今日はマジなこと言うんだから」
「いつもマジじゃないの?」
「頼むよ、いじめないで聞いてくれよ」

雨期に入るとトルーチャ(鱒)は取れなくなるので今の内と鱒のフライを二人は注文した。贅沢な料理だったので飲み物とアボガドのサラダがついて二人分で400円だった。今から10年前に市場で食べていた昼食は一人分40円だったのだが。

食事が一段落してアルベルトは口を開いた。
「実は俺、リマに行こうと思っているんだ」
「いや。ダメ」
アルベルトが驚いたほど、ヒステリックな叫び声だった。
マリアは強くはっきりと否定した。
「何をしても良いけど、ここから離れたらだめ。向こうに行ったらあなたの人生は今よりおかしくなる。やめてちょうだい。お願いします」
「落ち着けよ。俺の言うことを聞いてくれ」

アルベルトは幾分早口に事務所で考えたことを話した。
「でも、あなたは具体的に何をどうするのか分かっていないし、この国ではお金より大事な親戚関係も全くない。いつまでも遊んで機会を待つほどお金の余裕もないでしょう。そうしたら今よりずっと悪い条件で働くことになる。そんな生活を続けていれば、今あなたが持っている美しいものも壊されていく。だから、お願い。ここにいて、もう一度考え直してちょうだい」

午後の仕事があるとマリアは興奮した様子を隠せず店を出て行った。
アルベルトはもう一杯コーヒーを頼んだ。雨は上がったけれど、薄暗く濡れそぼった外を見ながら動揺した自分の心を見つめていた。
マリアの言うことに真実があることは感じていたが、自分の決定をすぐに覆すのも癪で、心を暫く宙に浮かしておこうかと、リマ行き計画を中止ではなく延期にする気になって外に出た。
テレサは午後に仕事があるともないとも言わなかったけど、アルベルトは広場近くの事務所に戻った。一段と暗くなった空から、雨が再びゆっくりと降り始めた。これから半年続く雨期に入ったことを告げているようだった。それはゆったりと、しかし力強くクスコの町を包み込んでいった。

テレサ、仕事は?」
テレサはいつものようにタイプした仕事表を自分の机から取り出し彼に渡した。
「はい、これ。マリオット・ホテルにいるアメリカ人のヘンドリックス夫妻とサボイ・ホテルのジャニスツアーのグループの市内観光よ。バスは12番。運転手はハイメ。ガイドはユパンキ。ちゃんと連絡とってね」
「どうして午前中に聞いた時、これを教えてくれなかったの?」
さすがにムッとしてクレームした、
「あなたの事だから、今日の午後から、もう仕事はしたくなくなるかと思ったの」
こういうとテレサはアルベルトにウィンクした。
「あなたは一体、何を言っているんですか?」
「明日のリマ行きの切符、予約してあげようか?75%引きの正社員の特別航空券を」
テレサはまじめな顔に戻ってそう言った。
アルベルトは顔が引きつって何も言えない。
テレサは静かに、しかし彼の顔を強く見つめながら続けた。
「あなたは若くてハンサムだし、才能もある。可能性はあるのよ。どうしてこんな田舎にくすんでいるの?あなたの野心は知っているわよ。どうして今、飛ばないの?チャンスは今よ、飛びなさい。アルベールト」

アルベルトは渡された仕事表をテレサの机の上に置くと、返事もせず事務所から再び雨の降る町に出て行った。
そうだ、今日だ。今日こそ旅立ちの日だ。もう終わりだ。こんな町で自分を駄目にしながら生き延びるのは今日で終わりだ。明日は飛行機に乗ってしまうぞ。
そうだ明日だ、明日。もう一日の余裕もない。焦るな、落ち着け。さて取り合えず、明日出発するために何をする必要があるか考えよう」

アルベルトは興奮で熱病の患者のように真っ赤な顔をして道端でブツブツ言っていた。
先ずクスコ旅行社の件を片付ける。それから明日の航空券だ。それが終わったら荷物を整理して部屋のオーナーに通知をする。それから友だちへの連絡だ、これだけを今から明日までに終えなくっちゃ。急げ。

驚いたことに事務所に戻ると、テレサは一切の手続きを終えていた。今日までの給料を小切手でちゃんと支払ってくれた。そして事務所の中なのに、思い入れたっぷりな情熱的な口づけをアルベルトにした。
「可愛い、アルベールト。さようなら。あなたの事、愛していたわよ」
アルベルトは気の毒なほどの取り乱しで、周りの人には彼が喜んでいるのか悲しんでいるのか分からなかった。
「飛行機は明日のフォーセットの2便。11時半発よ」

部屋に戻ってくるともう疲れ果ててベッドに倒れこんでしまった。
一生でニ度と起こらない劇的な日になった。

(続く)

チリの風 その970  2021年12月13日―19日

今週の話題はもちろん、今日の大統領選挙です。いつもと同じく、今回も私は朝早く涼しいうちに出発して前回と同じ投票所に。ところが、前回と同じ投票ボックスに行くと私の名前が投票者リスㇳにないと言われました。えっ? 選挙委員会に問い合わせると、同じ投票所の隣のボックスに変わっていました。でも、ほとんど待たされないで投票を済ませました。昼からなら、35度の暑さの中で、投票者の長蛇の列になりますからね。 
その後、昼食は娘と一緒に楽しみました。彼女の仕事の話を聞くと、ドキドキします。元気に頑張っています。

もちろん、いつもの通り、今週もスポーツを楽しみました。
山歩きは一人で、いつもの山系の小さな山に。その丘の後ろ側に下り道を見つけたので、それを使いました。山系の全体像は頭の中に入っているので、道に迷うことはないと思いましたが、確かに暫くすると知った所に出ました。40年もこのあたりを歩いていますが、まだ新ルートが見つかります。
日曜日のマラソン練習は選挙で中止でしたが、週日に一人で10キロを走りました。69分でゴール。昨年前半は62分で走っているのに、今年は65分でも無理です。1年半で10%も成績が下がるなんて。
土曜日はサッカー教室。夏休みが始まったので、参加者は13名といつもより少なかったですが、暑い中、楽しく練習しました。

それから時間があると小説「情熱」に熱中しています。もうこのブログに2回、掲載されていますが、かなり進んでいます。チリの風の読者に楽しんでもらえているかな?もっとも舞台はクスコなので「ペルーの風」になりますが。

(政治)

1)ピニェラ動向
 2023年にチリで開催されるパンアメリカ大会の準備が始まりました。大量の選手・役員がチリに来ますから、彼らのための宿泊所の建設が必要です。その最初の建物の開所式が行われて、ピニェラはそれに参加。大会の成功を祈りました。もちろん、それらは大会の後、マンションとして売りに出ます。

2)大統領選挙
 結果を発表する前に、今週の動きで注目される事が二つありました。
 左翼側は、先週チリに戻ったバチェレットが、この選挙で私はボリッチに投票すると発表。帰国後すぐに彼女の住居でボリッチと面談したらしい。右翼側は国連の公職についている人間が、そういう発言をするのは何事かとクレームしていました。
 右翼の側では、ピノチェットの奥さんが、99歳でしたが、死亡しました。99歳まで生きたのは素晴らしい生命力ですが、ピノチェット崇拝者のカストや、その応援グループにはショックの話題でした。

 さて選挙の結果はボリッチの圧勝でした。
 その分析ですが、右翼は最右翼のUDIから候補者を出せば勝つ可能性はないことを理解しなければなりません。今まで何人出ても全部負けです。ピノチェット信奉者はまだチリに多く残っています。でもそれはたぶん15とか20%でしょう、したがって右翼が勝ちたければ、もう少し中道の政党から出すべきです。今回も予備選挙に出たどれかの候補者が出ていれば、私はその人に入れたはずです。
つまり私の様に右でも左でも入れるという思考のはっきりしない人が、今回はボリッチに入れたわけです。
民政化が始まってからの大統領選挙で、私の入れた候補者が全部、勝っています。つまり私と似た考えの人が、多分全体で数パーセントいるのでしょう。
ピニェラがボリッチに勝利を祝う電話をしたのがニュースに出ました。そこで、ピニェラは「明日モネダ宮殿に来なさい、何でも質問に答えますよ」と言っていました。
勝利を祝う車がクラクションを鳴らして走り回っています。

さてボリッチ新政権の宿題として
  1)経済成長率、失業率
  2)公共投資とインフレーション
  3)税率改正と年金問題
   が挙げられています。もちろん簡単な宿題ではないですね。 
3)国会
 二つの法案が成立しました。
 一つは先週書いた公務員の来年度の賃上げで大蔵省提案の6.1%アップが承認されました。
 もう一つはフアン・バリオス法です。これは人の名前ですが、彼は先年、放火事件で命を失っています。トラックの運転手で、車内で休みを取って寝ているところに火をつけられ焼死しました。この法案ではそうした事故を起こした犯人は現行の法より罪が重くなり最小15年、最高は終身刑になります。マプチェの攻撃を抑える手段の一つですね。
 ピニェラは、その人の奥さんをモネダ宮殿に招き法案成立を祝い、悲しい死亡を憂いました。

(経済)

1)経済成長率
  チリ中央銀行の発表で今年の成長率は12%、来年は1.5-2.5%、再来年は0.0-1.0%とか。今年が大きく伸びたので来年はその分、成長率が低くなるのは当然でしょうが、再来年がどうしてそれほど低い数字なのか理解できません。
  外部の組織の発表で、来年からチリは厳しい状況になるとされていますが、チリの中銀もそれを確認しているわけですね。
  中銀は公定金利と大きく上げて4%にしました。年初は0.5%でしたから、落ち込んだ景気を上げようとした年初から、景気過熱を抑えようとするほどの大変化ですね。不動産業界は商売の動きが止まってしまったと言っています。

  消費者の信頼感調査で、2年前の10月に始まった社会騒乱の前の状態まで戻りました。消費者もコロナ問題と含めチリの社会が落ち着いてきたことを感じているわけです。
  破産した会社の数ですが、今年の1-11月は前年対比14%のマイナスでした。少しづつ良くなっていますね。
2)銅価格と為替
  1ポンドは4.32ドルで先週と同じ。為替は1ドル850ペソとペソ安が進んでいます。
  さて今週のアメリカ銀行(バンク オブ アメリカ)の発表では、銅の来年の予想価格は年間平均ポンド当たり4.45ドルで、今週の数字より上を見込んでいます。中国の安定さが見込まれているのですか?

(一般)

1)コロナ問題
  火曜日に新規患者数が970人に落ちるとマスコミは千人を切ったと大騒ぎ。
  もちろん、それは間違いです。数が減ったのはPCR検査数が少なくなったからです。
  その翌日は1080人でしたが、陽性率は1.73%。陽性率が下がる方がもっと重要です。
  陽性者の合計が8500人を切り、それは2か月ぶりの低い数字でした。確かに9月の前半の情況に近づいています。良かった。
  厚生大臣はワクチンは接種後、6か月が有効期間だから、来年から年に2回接種方式に変更したいとしています。
2)マプチェ問題
  いつもと同じ、今週もかなりの被害が出ています。
  新法案で車や家屋への放火は重罪になりますが、襲撃する側はほとんどそれを恐れていませんね。
3)観光
 随分、正常化が進んでいます。11月のサンティアゴの飛行場の使用者数は通常レベルになりました。また約2年ぶりに観光船がコキンボ港に入港しました。もっとも乗客の一人がコロナの陽性者だったとか。
 チリの3大観光地としてパタゴニアイースター島そして北部のサン・ペドロ・デ・アタカマが挙げられています。外人観光客があふれているところです。


以上

チリの風 番外編 小説「情熱」 その2:第5章~第6章

(その1:第1章~第4章)peter-fujio.hatenablog.com


第5章

翌朝、クスコ旅行社の事務所に行った。昨日のガイド料金が小切手でもらえた。850円だった。たった2時間の仕事で、チップを入れると1850円。最初に肉屋で働き始めたとき、月給が3000円だったから、その違いは極端だ。とにかく、失業中の今のアルベルトにとってありがたい金だった。
さて新しい仕事を捜しに行こうと、礼を言って立ち上がると、この旅行社主任のリッチーが奥から出てきて、アルベルトを応接間に案内した。
「まぁ、かけなさい。昨日のことは聞いたよ。突然の依頼だったのに良くやってくれたね。いや、ありがとう。ところで、ものは相談だが、その気があれば、うちで働いてみないかい?ガイドの仕事は君にはライセンスがないから無理だけど、事務所の人間として働かないか?今の君の仕事よりやりがいがあると思うけど。給料はチップも多いから、現行の2倍より多くなるのではないかな」
こんなに話がうまく行くとは、ほっぺたを抓って見なければ。アルベルトは昨日、土産物屋の仕事をクビになったのはここで働くためだったのか、と思ったほどだ。もちろん喜んでその申し出を受けることにした。
「今の仕事は大丈夫かな?突然、辞めても」
きっと、売り上げをごまかしたと言われて首になったことが伝わってないわけだ。それが知られた時、どうなるだろう。えっ、どうでも良い。実際、自分がやったことではないから。
「大丈夫です。今日中に話をして、明日からここで働かせていただきます」

その後、具体的な条件に付いて話し合いがあり、契約書にサインした。見習社員で1年ごとの契約をする。給料は月15000円だった。昨日までの土産物屋の仕事と同じ額だ。ただチップの方がそれより多くなるのは、昨日の例で分かっている。つまりもう生活に困ることはないだろう。
正式社員になれば1年のうち1か月を、有給で休むことが出来るらしい。素晴らしいバケーションになりそうだ。
そしてガイドの都合がつかないときは、昨日のようにアルベルトはガイドの仕事をすることになり、その時は正規のガイド料金が別途支払われることになった。
彼の通常の仕事は客の飛行場への送迎、ホテルの出入りの手伝いなどだった。全く異存はない。

次の日から働くことになったので、その日は部屋探しになった。町の中心部を離れて電気・水道のない部屋なら1000円である。今は費用を自分で払わなければならないとはいえ、良い給料がもらえるからもっと良い条件の所に入れそうだ。
7000円で良いところが見つかった。家具はそんなにないけれど、広い部屋でシャワーと台所がついていた。つまり、そこで自分の好きな食事の用意ができる。山の家で毎日食べていたスープのことだ。時間がある時、学校で習った笛のケ-ニャを吹いて楽しむこともできる。
部屋は2階で、大きな窓があったので太陽の光が良く入るのが気に入った。町の中心にも近い。アルベルトにとって初めての自分の部屋になった。フェルナンドの部屋から荷物を引き出し、引っ越しする。次回、フェルナンドが村に遊びに行ったとき、今までの様にアルベルトの父親と兄に、この転職と転居の件を話すだろう。

次の朝、窓から一杯に差し込んでくる太陽の光で目が覚めた。
レースのカーテンを通して入ってくる太陽は山の家にいたときの照り付ける太陽ではなく、洗練されたやさしさを持つそれだった。
清掃の人が道路を掃いていた。いつもと同じ朝だが、アルベルトはそれを外から、上から見ていた。外から見ていたとは、昨日までその中にいた朝を、まるで励ますように見守ったと言うことだ。「自分は他の人間と違う」と言うのではなく、他の人間と手を組んで新しい世界を作っていくのだと考えた。部屋を変えただけで、彼の心意気は大きく変わった。

仕事は最初から順調にいった。朝、事務所に出て指示を受ける。それは第何便でアメリカ人の誰それがリマから来るので、その人をホテルに案内する。そして客のチェックインの手続きを助け、部屋まで連れて行く。あるいはその逆に客をホテルから飛行場に移し搭乗手続きを助ける。遺跡周りをする人にバスや汽車の手配をする。
客は多かったので、仕事をしないで事務所に座っていると言うことはあまり無かった。チップは少額でもほとんど全員がくれるので、一日でかなりの金額になった。
事務所の人間はアルベルトに概して好意的だった。16歳と言う最年少の社員と言うことや、彼がいつも清潔な身なりをしていること、それに他の社員のようにはしゃぎすぎることがないからだろう。逆に、アルベルトの眼には他の社員は一家言もった立派な大人に見えたのだが。

リマに本社があるので、ここはクスコ支店と言うことになる。アルベルトはまだ支店長とは話をしたことがなかったのが残念だった。彼は渋いスーツを身に着け、白髪をオールバックにしている。如才ない笑顔を振りまきながら事務所に入ってくると、すぐに支店長室に消えてしまう。この国一番のサン・マルコス大学の法科を出たそうで、仕事では相当のやり手だと言う評判だった。
どうしてアルベルトが彼と話したがったかと言うと、あまり単純すぎるかもしれないが、入社2日目に彼はアルベルトに声をかけてくれた。
「君が昨日、入社したアルベルト君かい。まじめに働きなさいよ」と言って握手をしてくれた。
あの笑顔は自分に好意を持ってくれている証拠だと感じたからだ。

その支店長について色々と話をしてくれたのは秘書のテレサだった。テレサの話では彼は左遷されたと言う。その理由ははっきりとは言わなかったが、とにかくとばされたらしい。
「仕事で何かミスでもしたのですか?」
彼はそんなミスをするような人間には見えなかったけれど、そう聞いてみると、テレサはその質問に答えなかった。
テレサはこの町には珍しい白人で金髪だった。目も完全にブルーだった。征服者のスペイン人と土地のインディオの混血は長い年月をかけて行われたので、純粋のインディオはもう少なくなっているが、逆に全くの白人も珍しい。首都のリマならいるだろうが、このクスコでは白人はほとんどいない。
テレサは支店長についてリマから来たと言う。
支店長が秘書を連れて転勤すると言うのが普通なのかどうか、アルベルトには分からないが、アルベルトは直ぐにテレサに魅かれた。もちろん、全く自分の手が届かないところの人間と言うのは分かっていたが。その容姿が瞼から離れなくなった。ツンとすました態度さえ小気味良く思えた。それはせっかくうまく行きはじめたマリアとも気まずくなりそうなほどだった。
あの頭の良さ、あの美しい顔、素晴らしいスタイルをマリアと比較すれば・・・。
もちろん、これはずっと後になって聞いたのだけれど、支店長の転勤の原因はテレサにあったと言う。その支店長は以前、本社の総務部長で副社長に次ぐナンバー3の地位にあった。結婚して子供もいた彼に、大学を卒業して入社してきたテレサが接近したらしい。その結果、離婚騒ぎになって色々揉めたとか。それに激怒した社長が、彼に辞職かクスコ支店への転職を選択せよと命令したと言う。彼は結局離婚したが、テレサと結婚はしていない。

事務所で時間が出来れば、事務所の書庫にある本を読み始めた。考古学の本はインカ関係を中心に意外と多く出版されていたので、丹念に読み漁った。
自分が子供の頃、親父から聞いた昔話が少し形を変えて書かれていたりする。たまには親父が間違って、話してくれていたことも見つかり、ニヤッとした。また、自分たちが話しているケチュア語と文献に書かれているそれでは、単語の意味が違うケースもあり、一つずつ赤線をひいて覚えて行った。
ケチュア語はインカの時代から文字がないのでスペイン語のアルファベットを使って書かれる。インカは縄文字を使っていたが、まだそれは、数字以外は解読されていない。と言うことは、数字の1から0までの縄文字は解読されている。

通常の仕事の他に、ガイドの仕事もたまに入った。その時、頻繁に観光客からマチュピチュについて聞かれた。そうだろう、ここに来る観光客のほとんどはマチュピチュに行きたいから通過地点としてクスコに来るのだ。ところが、旅行代理店の仕事をしている自分が、まだそこに行ったことがない。
村にいるとき、周りの人間でマチュピチュを知らない人はいなかったが、逆に行ったことがある人間もいなかった。時間と金がないからだ。興味はあっても農民にそんな観光地に行く余裕はない。バケーションは彼らには全く関係のない世界だから。
アルベルトは、その重要性を感じ、テレサに相談した。彼女は即時支店長と話す。そして新しい風が吹いた。来週、大きなグループが来るので、そのガイドの助手としてマチュピチュに行けと言われた。

マチュピチュのツアーはクスコから鉄道に乗ることになる。クスコからマチュピチュに行くツァー用の列車の他に、もっと遠い地点に向かう一般車両もあった。もちろん観光客用の列車の料金は、列車のレベルが違うこともあって、距離が短いのにかなり高く設定されている。一等車と二等車の違いだろう。
その日、アルベルトはホテルに朝5時半に入った。ロビーにお客さんの集まるのを待つ。5時にホテルから全員にモーニングコールの電話がかかっている。これを頼むのはアルベルトの仕事だ。 6時に2台のバスで出発し、鉄道の駅に向かう。アルベルトはそのうちの1台のガイドになった。駅に着くとマチュピチュ行きの列車はもう用意されていた。正規のガイドが、「皆さんが乗られる車両はこれです。席の番号は12番から42番まで、お好きなところに座ってください」と案内する。

列車は定時に出発した。クスコを下に見ながら丘を登って行く。ジグザク線路で前後の方向が何度も変わる。
そして丘を越えるとクスコは見えなくなった。このあたりは雨は多いが、高度が高いので、熱帯の様に樹木が溢れていることはない。列車はゆっくりと下に向かって進む。ガイドが今日のツァーの話を始めた。インカの歴史、マチュピチュの話。そしてそれを発見したハイラム・ビンガムの事などが次々に語られた。アルベルトにとっては勉強になる。
しばらくして川が見えてくる。ウルバンバ川だ。インカの時代から「聖なる川」とも呼ばれていた。
オリャンタイタンボ駅を通過した。そのあたりで一番大きな町だ。クスコの周辺で有名な遺跡は、ピサック、このオリャンタイタンボ、それにマチュピチュだ。時間のあるグループはバスでクスコからピサックに入り、その後、このオリャンタイタンボを見学する。タンボは集落を意味し、オリャンタと言う名前の武将が率いていた町だ。
アルベルトは、ケチュア語を使っていたから、そういう知識は持っていたが、実際に来たことはなかったので、お客さんと同じように興奮・感激していた。遠くに雪をかぶった高い山が見える。
高度が低くなってきたので周りの緑の色が違う。マチュピチュから先に進んで行くと、ジャングルの雰囲気の森になる。その先のコーヒーの生産地も見どころだ。

マチュピチュに近い村の駅に着いた。観光列車のサービスはここまで。乗客の全員が下車する。
駅の近くのバス乗り場からマチュピチュ遺跡へ登って行く。グループの場合は乗車券の問題はないが、個人客の場合は切符を買うのに手間取ることが多い。
小さな丘に着いた。そこに遺跡があるのだ。入場券の手続きをしてから遺跡に入る。
ガイドが一番前でリードし、アルベルトは後ろの方でグループの安全を見守る。いつか自分もここにガイドとしてくることがあるだろうかと思いながら。
あまり年取った人がいなかったのでそのグループはかなり元気に歩いた。遺跡の後ろの展望台まで上がった。そこから撮った写真がこの遺跡の象徴だ。遺跡の向こう側にワイナピチュと呼ばれる丘がある。その頂上近くに段々畑が見える。つまり一番上までインカの遺跡になっている。昔は誰でもそのワイナピチュ遺跡に登れたが、今は観光客が増えたので、人数制限があり、許可がないと登れない。

クスコは3000メートルを超える高地なので、高山病にかかる乗客が頻繁に出る。その人が、翌日、マチュピチュ行きの前に「私は今日も調子が悪いのでマチュピチュには行かずに、ここクスコに残ります」と言うことがある、その時、「分かりました、お大事に」と言うのは間違った対応だ。マチュピチュは2000メートルは超えているが高山病になることはない高さだから、そこに行った方が前日クスコで高山病になった人の体調は良くなる。ほとんど100%元に戻る。
それから追加だが、高山病は老若男女を問わず、誰でもかかる可能性のある病気だ。グループの中の青年がやられ、おじいちゃんが元気と言うこともある。高地で生まれて育ったアルベルトは高山病など感じたことはないが、そう言ったことを経験から覚えて行った。

このマチュピチュはインカが作ったと言われるが、クスコを基地としたインカがここまで領土を拡大したのは帝国のかなり終わりの時期だから、この遺跡を全部彼らが作る時間は無かったと考えられる。つまりプレインカの文明が作った遺跡に、インカが後から手を加えたと言うのが正しいのではないだろうか。
遺跡の中に用水路があり、山の上の方から水が流れて来ていた。遺跡の周りは段々畑になっていて、農民が農作物を生産していた。つまり、ここの居住者は水・食物に不足はなかったのだろう。

この遺跡を今から約100年前に発見したハイラム・ビンガムはここで地下室(洞窟)を見つけている。遺跡の壁の近くに穴が開いていて、そこから登山用のロープを使って入るのだが、もちろんその行為は禁じられている。

グループの前にも他の観光客がいるから、自由には歩けないが、それでも主要な観光スポットはすべて回った。全員が感激しているのはアルベルトも感じた。いや彼自身もここに来られたことを喜んでいた。
ツァーが終わった後、遺跡入り口近くのホテルで昼食を取ることになっている。ガイドが言った。「このランチは世界最高です。材料が良いとか料理人の腕がすごいと言うことではありません。世界最高のマチュピチュ遺跡のそばで食事をするのが素晴らしいのです。違いますか?」
グループの中から拍手が起きた。遺跡を見ながら食べるのではないが、彼の言い方も許されるかもしれない。
ここのホテルの定食は前菜、メインディシュそしてデザートになる。前菜は野菜・海産物にスープが付くが、ほとんど鳥のスープだ。メーンは肉か魚になるが、肉は鶏肉が中心、魚は近くで取れる川魚が多い。高山病はここではいないから、遺跡を歩いた後の空腹感から、全員が食事を楽しんだ。
アルベルトもホテルの食事にすっかり慣れてきた。
ホテルのレストランでゆっくりしてからバスで列車の駅に戻り、夕方にクスコに戻る汽車に乗った。
観光客用に列車はその頃は一日1便だけだった。観光客の数は今と違って限られていたから、それで十分だった。
少し薄暗くなったクスコに列車は到着し、グループをバスでホテルに案内する。ガイドはそこで挨拶して別れた。客は各自の部屋で少し休んでからホテルで夕食になるが、アルベルトはそれにも付き合うことになった。旅行代理店の社員としての仕事だ。
早朝から夜遅くまでの仕事だったが、アルベルトはその疲れを喜んだ。
明日からの仕事が楽しみだ。これから出会う観光客に今日の喜びのコメントが出来るからだ。会社にとっても、これは立派な投資になるだろう。
毎日、いやいや仕事に行くのは本人にも会社にも良いことではないが、アルベルトの様に、毎日喜んで仕事をしている社員はそれほど多くはないだろう。

毎日、仕事を終えて部屋に戻る時の気分が何とも言えなかった。黄昏時はクスコで最も人の混み合う時だ。人々はそれぞれの家庭を目指して歩く。その人の流れに乗って歩くのが彼は好きだった。見知った顔に挨拶をする。自分の世界が広がっていくのを感じる。少し遅く帰る時は裸電球の街灯がほのぼのと照らす道を一人で歩く。疲労感が身体を包んでいるが、それを充実感と感じられる。すべてが順調だ。大人の世界に入っている。
競争に勝っていくことが生き残るために必要であり、そのためには自分が精進しなければならないと思う。
頑張れアルベルトと自分で自分に言う癖がついたが、やはり緊張しているのだろう。でもそれで良いのだ。そのために生きているんだ。後悔しないようにいつも全力をつくすしかない。自分にとっては勝負は始まったばかり、長い長い人生の競争が。
空を見上げると、深い暗闇の中に南十字星が強くはないが、しっかりした光を放って輝いている。
山高帽にポンチョのインディオが自分の横を通り過ぎて行った。
ふと洋服姿の自分とそのインディオの間にはもう溝ができているのを感じた。その時、懐かしい山の家族、父親と兄姉の顔が浮かび上がった。

第6章

アルベルトの18歳の誕生日が近づいてきた。すべてが順調だった。ある日、ふと故郷の村に戻って見る気になった。家を出たのが12歳の時だから、もう6年近くも彼らと会っていない。その間に背も伸びたし、髪の毛だってパーマをかけ、ピカピカ光った靴を履くようになった。一度、村に帰って驚かせてやろう。
そう決心すると、それをいつにするかでドキドキするほど心が揺らいだ。
休みになった日曜日、お土産の衣料・食料を袋一杯に詰めて、それを背中に担いで道を上っていった。子供の頃、2時間もかけて上って行った道だ。いつも兄貴のアルバロと一緒にロバの尻尾に捕まってはふざけていた。
久しぶりの山登りと言う感じで、背中の荷物が重かった。まだ17歳なのに、あの頃、山道を駆け回った元気さは無くなったのだろうか。ポタポタ汗を道に落としながら登って行った。
馬の後ろを、子供が「ハックチュウ」と言いながら追い立てている。さぁ行けと言うケチュア語だ。自分たちの小さかった頃と同じだ。
裸足で破れたままのズボン、寒いのにボロボロのシャツの上にセーター、頭には耳垂れの付いた布をかぶり、丘の途中で一休みしている男性がいた。
この地区には頭に白い山高帽をかぶり、スカートを何枚も重ねてはき、相撲取りの様に太っている女性が目立つ。それは典型的なケチュア族の女性スタイルだ。多くの女性が使っているのは真っ白な帽子だが、時々、違った色もある。それはケチェアの中の部族によって異なり、その色を見るとその女性が何族かすぐに分かる。

このアンデスに昔から住み着いている人たちをインディオと呼ぶが、今ではそのインディオと言う呼び方はほとんど蔑称になっており、混血と言う意味のメスティソの人たちはもちろん、純粋のインディオの人たちもそう呼ばれるのを好まない。
かえって原住民を意味するナティボとか、百姓(カンペシーノ)と呼ばれるのを好むらしい。アルベルトもインディオの身体的特徴の一つ、額が隠れるほどの髪の毛の生え際をなるたけ目立たないように気を付けていた。

ついでに書き加えると、馬鹿にされているインディオが逆に馬鹿にする種族もある。それは中国人だ。19世紀に大荘園主が労働力不足から中国人をペルーに連れてきたことがある。そのため中国人はインディオよりレベルが低く奴隷だと思われていた。インディの子供が東洋人に「チノ チノ コチノ」(汚い中国人と言う意味)と叫んで、ごみや石を投げつける。私もその被害者になったことがある。

東洋人に「汚いお前たち」と子供は叫ぶが、彼らは冬になるとほとんどシャワーを浴びない。それはシャワーからお湯が出ないからだ。その時期に、彼らのそばに行くとツーンと匂いがする。

さて、とうとう村の入り口に立った。そっくりそのままと言っても良いほど、何も変わっていない。そして自分の生まれ育った家に着いた。
「父ちゃん、兄ちゃん、ただいま」
もう昼時だったので畑から戻ってきているはずだった。屋根から薄く煙が上がっているのは炊事をしているからだ。この辺の家には煙突と言うものはなく、すべて家の中に炊き込める。それは寒いこの地方では保温になるし、虫の駆除に役に立つ。もちろんそのため部屋の中は煤で真っ黒になるけれど。
もう一度大声で名前を呼んだ。アルベルトの声にアルバロが出てきた。
「おっ、アルベルト」兄は駆け寄るように近づいてきて弟のアルベルトを抱きしめた。
「大きくなったな」あんなに仲の良かった兄弟の数年ぶりの対面だった。兄のアルバロはもうすっかり土地に生きる農夫と言う感じだった。顔は日焼けして黒く、手はがっしりとしていて、その力強さを物語っている。弟のアルベルトは肌は少し浅黒いが、日焼けはしていないし、その物腰はどちらかと言うと西洋風だ。
服装も対照的だろう。ただ眼だけは二人とも、若さと情熱を表すように輝いている。

「父ちゃんは?」「うん」 アルバロ―の声が急に低くなる。
「どうかしたの?」「いや、アリシアなんだ」
アリシアはつい先ごろ、3人目の赤ちゃんを産んだのだが、そのまま起きれず、寝たままになっていた。
この辺には医者はいないので、昔からの生薬を煎じて飲ませている。
しかし一向に良くならない。熱が続き、うわごとを言っている。
アイコーと呼ばれる村内の相互扶助の仕組みがあるので、畑仕事などはまだ助かっているけれど、日常のことは自分でやらなければならない。夫のホルヘにはもう両親がいないため、彼だけではどうしようもなく、アリシアの父のアルツーロが頻繁にアリシアの家に行っている。
アルベルトとアルバロは村はずれのアリシアの家に急いだ。重苦しい雰囲気があたりを覆い、子供のはしゃぐ声が全く奇妙に響いている。

「とうちゃん、アルベルトが戻ってきた」低い声で兄が中に向かって言った。すぐに父親が出てきた。すっかり力を失ったように、日に焼けて黒い顔が青くなり、血の気が失せている。目やにの付いた目に涙が浮かんでいた。
「アルベルト、中に入れ。早くアリシアに会え。そして話をしろ」
父親はそういうとアルベルトの背中を押して中に入れた。自分はそのままアルバロと一緒に外に残る。
「ねえちゃん」アルベルトの声に彼女は反応しなかった、部屋の中にはベッドに寝かされたアリシアと、その向こう側に、夫だろう、若い男性が一人いた。生まれたばかりの赤ちゃんはどこかに預けたのか、横に小さな子供が二人いた。
暗い室内に目が慣れてくると、自分が育った家と同じようなつくりと言うことが分かった。時間をさかのぼって、自分が子供の頃に戻ったようだった。手を組んで寝ているアリシアはあの陽気で、勝ち気で、家の中を仕切っていた力のすべてを失ってしまっていた。
アリシア」もう一度アルベルトは声に出してそばに寄った。夫は何も言わない。
彼女は眠っているように見えた。熱が出ていたのか、顔色はまだ赤いように見える。呼吸は全くしていなかった。目は閉じられている。
アルベルトは突然、アリシアの胸を叩き始めた。ガンガン叩いた。夫がアリシアを壊すつもりかと驚いて止めに入ったほど強くたたいた。以前、何かの本で、まだ生と死の間をさまよっているなら、強く胸を叩くと心臓が動き始めることがあると読んだことがあったからだ。
暫くすると今度はマッサージを始めた。心臓に向かって強くこするとよい。これも本に書いてあった。小一時間ほどアルベルトはアリシアの命を助けようとした。もとより無駄なことだったかもしれないが、彼は知っていることを実行した。自分の手は汗ばんでいたけれど。アリシアの方は身体の温度が下がり始めたのが分かった。
それでもまだ手は軟らかく、なんだか「久しぶりね。アルベルト」と握り返してきているようだった。
静けさが一変した。男は大きな声を上げアリシアに抱きつくと泣き始めた。その声に驚いたのか、マネをしたのか子供たちもアリシアに取りすがって泣き始めた。
アルベルトはアリシアにもお土産を持ってきたのに。
働いて、働いて、幸せとか、楽しみとかに幾らも浸ることが出来ないうちに神様に召されていったなんて。正直な人間で、働き者で、3人目の子供を産んだばかりの20歳の母親が、どうして死んでいかなければならないのか。あまりじゃないか。
親父と兄貴もいつの間にか中に入ってきていて、彼女のそばに座り頭を下げていた。
アリシアの身体がこわばり始めていた。もう手を握ってもさっきのようにはならない。既にアリシアの魂は、アリシアを形作っていた外形を残して飛び去ったようだ。もうアリシアの形骸は投げ捨てられているかのように、外の世界には何の反応もしない。固く冷たく横たわっているだけだ。

葬式は極めて伝統的に、したがって簡素に行われた。墓地に新しい穴を掘り、アリシアを入れた棺を降ろし、元通りに土をかぶせる、その上に十字架を立てた。
作業が終わったころ、日が傾き、一日が終わろうとしていた。
すべてを無に変える暗黒にも似た夜が迫ってきた。村人たちも皆、それぞれの家に戻った。

(続く)

チリの風  その969  2021年12月6日―12日

暑い日が続いてます。サンティアゴの最高気温は週日ほとんど毎日30度以上です。
白内障の手術を先月しましたが、その最終検査がありました。それを見て、医者から手術の後、視力がかなり回復していると確認されました。もちろん、自分でそれは認識しています。良かった。
土曜日は登山教室。10数名の参加者で楽しく山歩きをしました、運が良かったのは、その日、霧がかかって温度が上がらなかったことです。下の街は見えなったけど、暑くなりませんでした。10歳以下の子供も私と同じ速さで歩きます。すごい。
日曜日は仲間とマラソン練習。登山の翌日なので、私は軽く駆け足だけ。でも今週は週日に一人でちゃんと10キロ走りました。

(政治)

1)ピニェラ動向
  今週、光ったのは年金者援護として65歳以上の人に最低年金18.5万ペソを保証するとしたことです。貧困層の90%、約230万人がこの恩恵を受けられるとか。ちゃんと法律になるかな?
  それに同性結婚が国会で認められたので、その関係者をモネダ宮殿に招待し、お祝いしました。私は同性間の結婚に大きな意味を感じませんが、ピニェラは同性愛者をちゃんと励ましました。
  さて2年前の社会騒乱の時に、警察がデモ隊に暴行を加えたとする件で、ピニェラは国際法廷に訴えられていました。しかし、その法廷はピニェラが罪を犯したとする証拠は十分ではないとして訴えを却下しました。
  警察の対応が悪かったのはあるかもしれませんが、デモ隊の行動は犯罪的と思いますから、この法廷の判決はノーマルですね。

2)大統領選挙
 日曜日、二人の候補者のグループが対決しました。
 サンティアゴのイタリア広場は、そこを左翼が抑えて警察と衝突すると言うのが今まででしたが、今日はそこを最初に右翼が抑えました。彼らは警備の警官と握手をしていました。(今はコロナ時期なので握手でなく拳をあてるのですが)そこへ左翼応援の自転車グループが通りかかり、両グループの中の揉め事、好きな人間が暴言を吐き始め。その中の幾人かが喧嘩を始めたもの。
2年前の社会騒乱の時はデモ隊が百万人も出ましたが、今日は何百人でした。
今週、大学入試がありました。全く正常だったらしい。社会騒乱の時は、それを利用して大学入試
が大混乱でした。つまりチリが正常化してきていると言う証拠ですね。

さて後、1週間で次の大統領が決まります。極左と極右の対決と当初言われましたが、それでは一般市民の賛同が得られないと、両陣営ともに中道に傾き、極端な違いは消えていきました。

今週のラヂオの討論番組で、カストはボリッチに、「君は学生運動をやっているとき、ある女性に性的悪戯をして彼女に訴えられている。その反省はあるのかと」発言しました。ボリッチは「私が司法から尋問・質問されれば即時回答する。君のような言いがかりのウソ発言は君を訴えなければなくならないのか」と逆に攻勢をかけました。

私はどっちも好きではないので、この人に勝ってほしいと思うことはありません。さぁ来週、どっちが勝つかな?

今日、国連の人権委員会で働くバチェレットが帰国しました。クリスマスの休みをチリで楽しむのでしょうが、来週の選挙のための応援をするのかな?もちろんカストは彼女の行動を非難しています。

(経済)

1)経済成長率
  S&Pの推定ですが、来年、ラテンアメリカで最も成長率の低い国として2か国が名指しされました。ブラジルとチリです。ペルーより低いの?
チリの場合、来年は今年より成長率は下がると当初から予想されていましたが、ラテンアメリカ諸国の中で最下位とは?これは政治不安が考慮されているのでしょうか。
2)物価上昇率IPC
 11月のIPCは0.5%。今年の1-12月の予想は7%で、過去13年で最悪です。この傾向は続くのでしょうか?
3)銅価格と為替
  1ポンド4.32ドル。為替は1ドル841ペソ。少しペソ安になりましたが、ほとんど先週と変わりません。

(一般)

1)コロナ問題
  土曜日の新聞にチリのコロナ問題は終焉に向かっているとする文章が掲載されました。
  確かに、今週の陽性率は2.5%前後の日が続き、激減とは言えませんが、縮小しています。
  陽性患者数は9618人になり、先週より2098人も減少です。

  新変種もチリで何人か出たようですが、情勢は全く落ち着いています。
  ただ不思議なのは厚生省の中から4回目のワクチン接種を考える声があることです。
  最初、2回の接種で、問題解決となっていましたが、最近それでは駄目だ、3回のワクチンが必要とされ、2回の接種だけでは移動証明書が機能しないことになりました。それが4回目になるの???

2)カトリック
  この水曜日はカトリックの聖マリアの祝日でした。いつもならその前後はこのニュースが頻繁に報道されますが、今年はほとんど無し。私は現在のキリスト教にほとんど興味がありませんが、チリのマスコミもそうなのでしょうか
  ところが、カトリック大司教アオスがニュースに出ました。それは聖マリアの話ではなく、同性間結婚が議会で認められたことです。
  大司教は 法律を尊重するのは当然だが、カトリックとしては違った見解を持っていると反対の意見を述べました。
3)マプチェの攻撃
  今週はある地区でトラック3台、重機1台、バス1台に火がつけられました。それとは別の場所で10数台の車が放火されています。その時、その場所にいた職員がデモ隊に襲い掛かられ負傷しています。軍隊が警備に出て犯罪は減少したと言われますが、毎週こうした犯罪が継続です。
4)干ばつ
  全国で53%の地区が干ばつ危険のランクに入りました。もちろんそこで次の問題が起きます。そうです、山火事です。
  今週、チロエ島の中心地カストロの近くで山火事が起き、それが周辺の住居に飛び移りなんと140件の家屋が全焼。この夏は毎週そんなニュ ースが出そうです。
5)麻薬
 今年に入って警察に押収された麻薬は28トンになるとか。コロンビアの組織がチリに基盤を作り上げたらしい。どうなるのかな?

(スポーツ)

1)サッカー
  もうリーグ戦は終わり、ワールドカップの南米予選もないのでサッカーはしばらくお休みになりますが、今週は国際親善試合が2試合ありました
  アメリカのテキサスで対戦、まず最初はメキシコと。結果は2対2の引き分け。
  そうしてもう1試合は対エル・サルバドール戦。1対0で勝ちました。するとネットでチリ代表を非難する声が続々。特に監督に向けての批判で「こんな弱い相手に辛勝とは何事か。お前が監督ではチリの将来はない」
  当たっているかな?


以上