チリの風  その204 06年12月11日―17日

チリの風  その204 06年12月11日―17日

年末が近づいてきてなにやら忙しい雰囲気になってきましたね。チリではクリスマスプレゼントを捜す買い物客がショッピング・センターにあふれています。それから来週の月曜と火曜日にPSU(大学入試の共通試験)が行われます。日曜日には会場の下見が行われ、24万人の受験生の緊張も高まっています。
さて何回もお伝えしているオリンピック・リュ−ジュ選手の南米周遊組みのお二人はチリの後、ボリビアでもサンタクルスとラ・パスでリュージュ講演会を行い,現在ペルーに向っています。正月をマチュピチュでと考えているそうです。
私たちの正月はアフリカです。伴侶のバレリアは来週黄熱病などの予防注射をしますが、私は嫌いなのでしません。マラリアも予防薬を持っていきますが、できるだけ飲まないつもり。どうか病気になりませんように。


(政治)
意外でしたね。私のようにここに20数年すんでいてもまだチリ人の認識が十分ではないことを感じさせました。そうです、ピノチェットの死去とその後の出来事のことです。
チリで88年の軍事政権継続可否の投票がありましたが,私の人生でこれほど興奮した選挙は初めてでした。それまで約20年間,選挙や投票の無かったチリですが、全国が賛成,反対に分かれ両方のデモ隊が国中を行進していました。私は仕事で各地のユーザーを訪問していましたが、客の事務所に入って,まず室内を見渡し,ピノチェットの写真があれば選挙の話は控えることにしたのを思い出します。国会も認めない軍事政権は継続すべきでないというのが私の意見でしたから。
従って私はこれは今回もチリ社会を揺るがす大インパクトになるのではと予想していたのですが,まったく違いました。
彼の死が発表されてから陸軍病院の前に彼の死を悼む市民が続々とかけつけました。そして混雑を避けるため深夜に死体を陸軍学校に移送。翌日通夜がとりおこなわれました。一日で5万人ほどの市民が彼との別れを惜しみました。棺おけに入った彼の死顔がすべての新聞のトップを飾りました。しかしたった数万人ですよ。サンティアゴの市民を6百万人とするとわずか1%。私は数十万人とか,百万人が参列して町中が麻痺するとか,翌日交通機関が止まってしまい、仕事にもならないと言う事態が起こるのではないかと想像していたのですが・・。会社の中にはピノチェット狂が何人もいますが、彼らも翌日、普通に仕事をしていました。
今回の大統領選挙に右翼側から立候補したラビンもピニェラも病院の見舞いにも葬式にも列席しませんでした。

2) 彼の死に伴って左翼も集会をしましたが、病院や陸軍学校の近くでの行動はなく、それぞれ別個に行動し,両者が衝突することはありませんでした。これも不思議。普通なら,右翼の集会に左翼が殴りこむとか,その逆の事態が起こるのではないかと想像しますよね。
深夜まで左翼がお祭り騒ぎを繰り返し,警察と衝突は各地で見られましたが,ピノチェットが死んだので,スーパーマーケットを襲撃では頭のレベルを疑われます。

3) さて通夜の翌日,その陸軍学校で葬式がありました。政府は国葬にしないと明言したので,それに対抗して家族側は政府代表の列席は遠慮くださいとコメントしたのですが、バチェレットは国防大臣(女性)を派遣しました。彼女が式場に入ると、会場から野次や批難の口笛がなって・・・緊張状態。
このとき不思議だったのが,日本だと葬式には黒い喪服を着ていきますが,この大臣は真っ白の上着でした。黒い服がないのか,わざと目立つ白を着用したのか不可解。ピノチェットの家族は黒服でした。
さらにその葬式で,ピノチェットの孫のピノチェット(彼も陸軍軍人で大尉の職)がスピーチし、祖父は冷戦下の共産主義者との戦いに勝利したと政治的発言。列席者の拍手を浴びましたが,バチェレットはただちに国防大臣にクレームし、大臣は陸軍司令官に抗議し,何と翌日ピノチェット孫は罷免されました。
そうか、いつも動きの遅いバチェレットも迅速に動くときもあるわけだ。さらにピノチェット孫より上位の軍人(将軍職)が私はピノチェットの業績を評価すると数日前に発言したのをとらえ,彼も罷免されました。つまり現在のチリの軍隊では先週と違ってピノチェットをたたえるとクビになるわけです。
そうかそれほどピノチェットは影響力があったのかとも言えますが、しかしたった二人です。これが陸軍の半数が,じゃ私は職場に行かないとか,職場に行っても仕事をしないとなればバチェレットはあわてて話し合いに入るのでしょう。右も左も結局は力の勝負。勝てば官軍。現在はピノチェット,軍隊,右翼側が無条件に敗北していることを示しています。
アジェンデの末娘は国会議員ですが、ちょうどこのときスペンインにいて,インタビューされていましたが、胸を張って勝利宣言していました。私のような左翼の人間でも、アジェンデの失政はあきらかでピノチェットが死んだから自分の父の価値が上がるなんて全く見当違いも甚だしい。
ところでピノチェットの5人の子供は誰も政治家になっていませんが、この後,ピノチェット新党が結成されることがあるのでしょうか?
1973年の軍事革命が起こってから1988年に軍事政権の継続可否の投票があるまでピノチェットの独裁政権で、彼に逆らうことは死を意味したほどですが,やりすぎから市民の共感を失い今日の敗北を招いたわけです。
余談ですが、その週、第5州、サン・アントニオのトラック屋にいったらそこの親父が昨夜深夜1時まで陸軍学校の前で列を作っていたのだが,中に入れなかったと言いました。彼のようなピノチェット・ファンが地方にもいてわざわざ駆けつけたわけです。
さて葬式の後も全く正常で、国を挙げて彼の死をいたむと言う雰囲気はゼロです。日本で天皇死去の後の異様な雰囲気の年末とは全く違います。日本が正常でチリがおかしいのか、その逆か?

4) 選挙資金
スポーツ振興の費用が不正に使われていたと言う事件はこのチリの風でも何度も取り上げています。その割に結論が出ないのは政府がどう対処するのかはっきりできないからでしょう。ところが、ここにきて前社会党党首が,国家機密費を選挙運動に使用したと発言しました。来週はこの話題でもちきりでしょうね。バチェレットは動くのか動かないのか?


(経済)
1) 07年の見通しが発表されるようになりました
その一つによるとチリのGNPは5.3%のアップ、物価上昇率は3から3.5%、失業率は7.6%,実質賃上げは2.2%、銅の価格は250−280セント(ポンドあたり)を見込むとなっています。このためペソの価格も強く,1ドルが510−540ペソの間を動きそう。つまり順調にチリ経済は上昇しそうです。

2) 厚生年金制度の変更
政府の大盤振る舞いです。チリでは男性65歳,女性60歳から年金受給資格がありますが,その受給額は当然各自がそれまでに積み立てた額によります。つまり低い給料をもらっていて,低い積み立て額の場合,支給額はほんの3万ペソなどということになります。これではとても生活が出来ません。で、今回の改正で最低支給額を08年から6万ペソにすることを政府は提案しました。貧困層の60%がこの恩恵を受けられると言うもの。チリも北欧並みになってきたのかな?
   野党側も表立って反対はしませんが,どうして来年からにしないのか09年には最低補償額を75000ペソにアップと言うが、それは選挙の年。選挙民を喜ばせる常套手段だとクレームしています。

(一般)
1) バス代値上げ
  少し前に380ペソから360ペソに下がったサンティアゴのバス代が今週からまた380ペソに上がりました。値段の変更の仕組みが良く分からないので,突然の変更に戸惑います。まぁ日本円では4円くらいの違いですが。
  それから首都サンティアゴ排気ガス対策をしていないエンジンを搭載した車の走行制限は現在20%ですが、来年の冬はこれが2倍の40%になります。登録ナンバーの最後の数字で規制します。サンティアゴの大気汚染は深刻ですからね。

2) 犯罪の増加
  しかし暗いニュースですが,過去6ヶ月に家族の誰かが犯罪の犠牲になった家庭の数がこの11月に2000年からの統計の最悪の数字42%を記録しました。犯罪の低下傾向が見られないのは政府の方針が間違っていることを示しています。何しろ半数ちかくの家族が被害にあっているのですから異常な事態。

3) コロコロの敗戦はスポーツの所ででてきますが、その敗戦に怒ったファンが試合の後、町中で警察と衝突するのはいつものことです。今回は少し様子が違って、テムコで騒いでいたファンを警官が捕まえると,寄ってたかってリンチを加え,おまけに警官の一人が連れていた警察犬に彼をかませました。その様子をテレビのカメラが撮影して夜のニュースで流したので、警察側もたまらずそれらの四人の警官を全員罷免しました。しかしテレビの威力はすごいですね。これが撮影されていなければ警察側は無謀なファンを鎮圧するため,やむなくとった処置ですとするはずですから。


(スポーツ)
1) サッカー
  水曜日のテレビはサッカーのニュースばかりでした。その前日,二日ほど政治ニュースで埋め尽くされたマスメディアが打って変わってサッカーのニュース。この変わり身のはやさがチリの真情か(?)
  さて,その理由は南米大会の決勝戦です。チリのコロコロとメキシコのパチュカの試合。国立競技場を7万のファンが埋め尽くしました。入場無料のピノチェットの葬儀に数万人。入場料を払わなければならないサッカー見物に7万人。いかにコロコロがチリで人気があるかを示しています。
  私の職場の工員さんも半数がコロコロファンですが、もうその日の午後、働きながら応援歌を歌って、南米チャンピオンは決まっていると確信していました。
  なんとその試合の後半戦にバチェレットも応援に駆けつけました。ピノチェットの葬儀には行かなかった彼女もサッカー見物には時間があったのか。もっとも彼女がコロコロファンなのか、ただテレビのカメラに映りたかったのかは知りません。
  さて前半、コロコロが1点挙げると、国立競技場は興奮の極み。なにしろ敵地での1回戦に1対1で引き分けているので、ここで勝てば得失点差に関係なく優勝です。しかし後半に入って、疲れの見えたコロコロにパチュカの猛攻が始まり,何と連続2点。終盤にコロコロのフォワードが2度も敵のゴール前で倒され私の目にはペナルティに見えましたが,いずれも審判は笛を吹かず、結局2対1の敗戦。選手も大半が涙を見せました。
  しかしサンティアゴの国立競技場はチリのチームにとっては縁起が悪く国際大会の決勝戦を何度戦っても一度も勝ったことがありません。91年にコロコロがリベルタドール杯に勝ったときは、ここではなくコロコロのホームグラウンドのモニュメンタルでした。
  ただしこの試合で得点したコロコロのスアソ選手はこの大会の得点王になっただけでなく今年の世界得点王と国際サッカー連盟から認証されました。来年1月にオーストリアで表彰式がある由。

ところで国内リーグの決勝戦はアウダックス・イタリアーノとコロコロの対戦になりました。コロコロが南米大会の屈辱を果たして国内チャンピオンに輝くか,それとも再度、決勝戦で涙をのむか?


以上