【番外編】ラパ・ヌイ

この島は通常イースター島と呼ばれている。
しかし、1000年以上の歴史を持つ島が、先住民が使っていた言語の名前ラパヌイを後から来た西欧人に変えられるのは島民にとっては不愉快なことだろう。

そこはチリ本土から3700キロも離れた太平洋の孤島で、その大きさは北海道の利尻島と同じくらいらしい。ポリネシアから来たと言われる先住民が長い間、そこで生活していた。最大時は1万数千人が生存していたようだ。
さて島の文化が崩壊したのは1600年代に起きた内部戦争のためで、森林が伐採され、木が無くなったので自然が破壊して農業・牧畜さらに漁業にも影響したとされるが、そうではなかったと言いう説もある。

1722年にオランダの船がこの島を発見した。それがちょうどイースターの日だったので、それを島の名前にしたとされる。
ラパヌイ、広い大地の方が島のイメージを表している。

それ以降、西欧人はこの島を訪問するが、それが島の文化を崩壊させたとも言われる。
極端な例だが西欧人がこの島に来て、島民を誘拐し、ペルーの鉱山に奴隷として売っている。
なんと1877年には島民の数が111人になったと言われる。人口の99%が消えたわけだ。
イギリスはそこからモアイを取り出し、大英博物館に展示している。

この島の先住民はロンゴロンゴと呼ばれる文字を使用していたが、西欧人の誘拐でそれを理解する人が連れ去られ、島民はそれを読めなく・書けなくなった。
モアイがこの島の象徴になっているが、その奴隷事件で、誰もどのようにそれを作って運んだのか経験・記憶が消えてしまったとか。
その少しあと、1888年にチリがその島を自分たちの領土だと宣言した。
島で独立運動は起きていないようだが、チリを愛国心をもって支持しているようには見えない。
チリ政府は、一時、島民に皆さんはチリ国民だからスペイン語を話してくださいとしたが、いつからか島民にラパヌイ語を使うように勧め、町役場に働く人はラパヌイ語を知っている人を優先したとか。

さて1000体近くあるモアイのどれが古いものか新しいものか良くわかっていない。内部戦争があったなら部族間でモアイの顔・身体に違いがあるはずだが、それも良く分かっていない。つまり研究はそれほど進んでいないことになる。
モアイの下にアフと呼ばれる石組がある。土台のアフの上にモアイを置くわけだ。その石組みがインカの石組みと同じだ。それは一回や二回ではなくペルーとラパヌイの間にコンタクトがあったことを示している。潮流に載れば南米からこの島にそれほどの問題はなく来れたのだろう。

現在の人口は数千人で、最大時の半分ほどになっている。コロナ問題で観光客がゼロになったとき、島民の生活は困窮したが、それは自給自足の方向と借金を増やすことで切り抜けたらしい。つまり銀行が各自のクレヂットカードの上限を外し、必要な金額を渡したからだ。コロナが収まって観光客が戻ってきたので最近は正常生活に戻っている。借金を毎月少しづつ返しているのだろう。
ただこの島の町長は、飛行機の便を増やすことに賛成していないらしい。日本の観光客が増えても島民に悪い影響はないだろうが、サンティアゴ市民がなだれ込んでくるとすぐに犯罪問題が自分たちの首を絞めるとするわけだろう。現在、ラパヌイでは犯罪はほぼ皆無と言われる。素晴らしい。

ところで幾つかのモアイの背中に日本の神代文字が書かれていると言われるが、その研究が進むのが楽しみだ。
モアイを遠くから見るのは問題ないが、近づいて触ろうとすると警備官か警察に警告されるらしい。そしてその後は法律違反で逮捕される。
従って私たちもそれを遠くから見ることにしなければ。

以上