パタゴニアの旅-2   2020年3月 藤尾明憲

三日目

ホテルでゆっくり朝食を取ってからタクシーを呼んでもらう。
このホテルは豪華ではないが,それなりに良かった。場所が町から離れているのは不便とも言えるし,静かで良いとも言える。
満室ではなかったがガラガラでもなかった。つまり観光シーズンの終盤というわけだ。

さて11時発のバスに乗る。バスはほぼ満席だった。観光客が旅を終えてそれぞれの家に戻って行くのだろう。私たちは軽いマスクを付けていた。そして軽食と飲み物を持っていた。
以前、このルートを車で走った時,アルパカに似たグワナコやダチョウ類のニャンドゥなどの野生動物を見かけたが,今日のバスでは何も見なかった。但し家屋は未だに稀で,風景はこの何十年あまり変わっていない。時々雨が降った。
プンタアレナスに着く少し前に空港がある。十名ほどの乗客が降りた。街まで行って戻ってくるのは時間の無駄だ。

3時間ピッタリでプンタ アレナスのバス停留所に到着。ここは各バス会社がそれぞれのターミナルを持っている。バスを降り荷物を受け取ると外は雨だった。その通りにホテルが幾つかある。この道は何度も歩いてよくわかっている。予約を入れたホテルはその通りの端にあるディエゴ デ アルマグロだったが、それは明日からなので、今日はバス停に近いベスト ウエスタンに決める。
部屋に入って少し休みを取る。

昨日、プエルト ナタレスで観光地が突然閉鎖されたが、詳しい理由はともかくコロナ ウィルス問題だろう。それはこの地区全体の問題のはずだ。つまり観光はもうお終いと言うわけだ。もちろんそれは観光問題だけでなく移動が自由にできなくなる可能性を含むことになる。そう考えると,まずしなければならないのは帰りの便の確認だった。
1週間前にここ来ていればこうした問題は無く,当初の計画が実現出来たはずだ。そうしなかったのは今までの経験からシーズンの間は観光客が多いだろうから,遅く行く方が良いと判断したわけだ。私の失敗。

ラタムの事務所は以前は街の中心地にあったが、今は近郊のモールに移ったとか。ホテルからタクシーでそこに向かう。ビルの中に入って驚いた。2か所に長い列。最初の列はスーパーマーケット。客がカートを持って列を作っている。買い物を終えて出てくる客は溢れるばかりの商品を入れたカートを持っている。駐車場に行くのだろう。サンティアゴでも珍しい程のラッシュだった。プエルト ナタレスでは通常だったから、ここは何かの偽情報でも流れているのかな。
もう一つの列はラタムの事務所。私たちはその後ろに並ぶ。まさかこんなに多くの人がいるなんて想像もしなかった。言葉を聞くと大半が外国人だった。ヘブライ語を話しているグループがあったが,彼らはイスラエル人だ。もう50年以上前のことだが,そこのキブツで一年ほど生活したことがある。
私たちと同じように考える人が多いわけだ。つまりもしサンティアゴ行きのフライトがキャンセルになったらここからは戻れない。バスのサービスはない。
事務所に入るのに何と1時間半も待たされた。そして中に入るのは一人だけと言われた。妻に外で待ってもらい一人でネゴを始める。質問は土曜日に予約を入れた便は飛ぶかどうか、もう一つはそれを早めることは可能かだった。回答は両方ともイエスだった。
そこで出発を一日早めて金曜日の便を選ぶ。何も出来ないこの街にいることはない。いや戻れる内に帰るべきだ。その便は直行便だった。オリジナルの便はコンセプシオンで止まるので飛行時間は1時間以上短縮された。幸運。搭乗券を手に外に出た。危ないところだったが何とか突破。

その後フリーゾーンに行く。嫁さんは買い物。私はそばでお付き合い。このフリーゾーンで私は長い間働いた経験がある。もうずいぶん昔のことだが。
蛇足だが、このフリーゾーンは翌日から封鎖された。それからこのフリーゾーン近くの思い出博物館は閉まっていた。
夕食はここプンタ アレナスの海産料理で有名なレストランへ。ガイドの仕事で何回も行ったことのある店だ。
彼女は蟹料理を注文。私はカニは食べられないのでサーモンにする。そのカニスペイン語でセントーヤと言うが、日本人客にそれを漢字で書くと戦闘夜と説明した。ずいぶん喜ばれた。

四日目

朝7時頃起きて朝食。
今日はすることがないから歩くだけ。まずはアルマス広場。嫁さんはお土産ものを見たいと言ったが、残念、その広場にある屋台は全部閉まっていた。広場中央のマゼランの像を見る。サンティアゴ歴史博物館にこのマゼランの小さな像が展示されている。それがオリジナルでそれを大きくしたのがこの街のシンボルになったわけだ。大金持ちの粋なプレゼントだ。
ここに近い大富豪豪邸博物館も閉まっていた。19世紀の終わりころ,このパタゴニアで羊毛産業で大成功した家族の住んでいた家が博物館になっているが,見る価値があるところ。
そして街を上から見るために近くの丘に登る一番上までは行かなかったが高いところから写真を撮る。それはこの街に来た全ての観光客が行くべき地点。目の前にこの街と海峡が広がる。その坂の両側に家が並んでいるが,そこに住んでいる人には見飽きた風景だろう。
昼食はこのルート途中で見つけたレストランへ。おいしかった
ホテルに戻ってきて外を見ると雨がポツリポツリ。
午後の散歩は海岸沿い道にした。それも私には歩きなれた道。ところが雨が強くなり風も強いので傘は使えず合羽だけでは結構濡れた。そこで喫茶店に入って一休み。その後、ホテルに戻って来る。

このマガジャネス州(12州)は独自の気風がある。サンティアゴに助けてもらわなくても自分たちは生きていけると言う気質だ。これはアラウカ二ア州(9州)の独立運動と雰囲気は違う。そこはマプチェ族がここは俺たちの領土だ、チリ人にお前たちはここから出ていけとなる。チリが独立した時,そこはチリ領土には入っていなかった。
その両州の間の第10 ,11州には全くない雰囲気。いやチリ全州の中でその2州だけ独自色を持っている。
ここマガジャネス州の気質は移民の意気込みだ。そう言うとチリはどこでも移民の国でしょうと言われそうだが、チリにはスペイン人が1500年代に入って来ているから歴史がある。しかしこの州の移民はわずか百年ほど前に来たわけだ。彼らの生活ぶりを思い出博物館で見ることができる。
遠い中央政府に頼るのではなく自分たちの団結力で生き延びるとするわけだ。当初は異なる言語を使っていたわけだが、厳しい気候にも負けず生き抜いて、貧富の格差がチリ国内で最小と言うのは奇跡ではないか。
昨年末からの反政府運動はここでも活発な動きがあったとか。建物の落書はサンティアゴほど酷くはなかったが、それでも目に付いた。

おかしい風が吹き出し、ホテルのレストランは宿泊客しか利用できなくなった。
夕食はホテルの屋上レストランで。景色抜群、全方向が見渡せる。
ウェーターと話していると明日は空港が閉鎖され便は飛ばないと言う。そこで私はじゃ賭けをしようと言った。もし明日飛行機が飛ばなかったこのホテルに戻ってくる。その時あなたに最高級のカニ料理を奢ります。もし便が飛んだら来年、私たちがここに戻ってきた時、定食を奢ってね。約束は成立した。

五日目

朝7時に起き出発の準備。

私はチリに40年も住み仕事で全国を回った。最も北のアリカからここプンタ アレナスまで。
仕事で主に出張したのは鉱山の多い北部だ。内陸のカラマ、コピアポ、海岸のイキケ、アントファガスタ。しかし何回行っても好きにはならなかった。カラマは200回以上行ったけど。多分緑の少ない風景に馴染むことができなかったのだろう。逆にチリ南部は緑あふれ気が落ち着く。
その中で特に好きになった街が二つある。8州のコンセプシオンとここプンタ アレナスだ。もちろん素晴らしい風景の他に仕事を通して知り合った人たちとの人間関係が影響しているのは自明だろう。
ここの主要産業の一つ漁業の中に鮭の養殖があるが,日本の資本も入っているから,パタゴニア地方の発展を後押ししたい気がする。

タクシーで飛行場に。2時間前について、カウンターに並ぶ。手続き完了。VIPサロンに入って搭乗までの休憩。
確かに戻りの便はほぼ満席だった。私たちは空港から車で直ぐに帰宅出来るが、ほかの観光客は空港からどうするのだろう。

サンティアゴに戻ってきてから、妻がプエル ナタレスは良かった、また行きたいとコメント。さぁいつになるかな?