(政治)

1) ピニェラ動向
新州を訪問しました。先週まで第8州ビオビオに属していたニュブレ(州都チヤン)が独立して新州になりました。第9州アラウカニアと共にチリで最も貧しい州です。小さな州を幾つも作ってどんなメリットがあるのか、わかりませんが。
それから今月末にワシントン訪問し、トランプと面談することが決まったらしい。その面談に何を期待するのかな?
2) 大気汚染問題                     
第5州キンテロなどの大気汚染問題は少し落ち着いたようで学校授業も再開されたのですが、今週それが一変し、また患者が病院に殺到しました。
不思議ですね。チリは世界トップクラスの技術先進国とは思えませんが、他の先進国の所有する技術を使用する力はあるはず。それなら同地区に存在する化学品を扱う数社のどの煙突・家屋から有害物質が出ているか分かるはずです。
その会社が私営でも国営でも責任は同じでしょう。何故それをバチェレットもピニェラも放置してきたのかな?
問題視されている国営石油会社ENAPの副社長が辞任しました。責任を取って辞めたのか、それを取らされる前に逃げたのか分かりませんが、おかしな動き。責任をはっきりさせる、それだけです。
ピニェラの人気が落ちてきたのはバチェレットと同じく何もしないで放置するのがばれたからでしょうか。
その地区のデモで今回は逮捕者が多く出ました。抗議行動はいつまで自分たちは被害者になっているのだろうと言う強い疑問からでしょうね。
昔、その地区に行ったことがありますが、既に汚染問題はあったので、確かに海辺の風景を素直に喜べませんでした。
3) 裁判所対国会
軍事政権下の人権問題で逮捕され刑務所に収容されている旧軍人にいろんな特権が与えられていることに関し、一定の規則が見られない、各裁判官が独自の感覚で結審しているのではないかと議員が裁判官を批判した件が国会で議論されました。議会に呼ばれた裁判官の弁護士は「問題は私たちではなくあなたがた」と正面衝突。自分たちは議会が決めた法律を運用しているだけと言うことです。さぁどうなるかな?
4) 記念行事
1973年の9月の軍事革命から45年、その軍事政権の可否を問う1988年10月の国民投票から30年の月日が流れました。その記念行事をどう実施するかで与野党間でもめています。
チリに入国したのは1979年なので、私は軍事革命の日にはチリにいませんでしたが、軍事政権継続可否の国民投票は参加しました。その頃、タイヤ関連の仕事の部長でしたが、セールスマンとトラック会社の社長に面談する時、その事務所にピノチェットの写真が貼ってあるかどうかを先ず確かめたのを思い出します???
この日曜日、セントロから中央墓地まで左翼のデモがありました。軍事政権に殺された(行方不明)人の写真を掲げてのデモ。最後は覆面グループが出てモロトフ爆弾を投げ、商店の略奪と逮捕者多数。これが来週も続きます。