チリの風     その365  10年3月22日―28日


かなり涼しくなっていたのですが。今週のサンティアゴは暑い日が続きました。連日30度を越えましたから、まだ夏のようでした。それから従来とは異なって、まだ夏時間を使用しているので朝は7時半頃まで薄明かりの中です。
さて最近エレキギターにこっています。毎晩半時間くらい練習。ビートルズとかエリッククラップトンの曲とか弾いています。土曜日は日本人学校でサッカー教室。日曜日はマラソン練習。本番まであと2週間に迫ってきました。限界近くまで練習しているので、左足はアキレス腱が痛く、右足は足の裏が痛く、サッカー教室のあと、腰が痛くなり、今週一人でタイヤ検品を百本以上したら左腕の筋肉が痛くなり、満身創痍の状態です。大丈夫かな本番。大会には日本人選手もかなり走るようですが、大半が10Kかハーフで、山口さん以外にフルを走る人はいるかな?
ところで最近チリの風の雰囲気が変わりましたねと言うコメントをもらいました。以前はチリで起こった出来事を伝えるブログだったが、最近は私の解説・コメントが中心になっているというもの。地震関連のニュースに私の見解を付け加えるところから来るのでしょうか。
じゃつついでに・・・、会社で2月27日はどこにいたかと聞くのは日常の挨拶でしたが、よそのセクションの人間に先日この質問をしたら、「私は南部の海岸沿いの村にバケーションで行っていました」って。もちろんそう聞いた私は???!!!彼は地震の後、ツナミが来ることを想定して家族と丘に逃げたらしい。ラヂオを聞いていたらツナミ警報解除の知らせがあったので、丘を下りてふもとの村に向った連中も多かったが、彼らはしばらくそこにとどまったらしい。すると大きな音がしはじめ、そこは海を直接見られる場所ではなかったが、波が村を襲うのが感じられたらしい。騒ぎがおさまってから借りていたロッジに戻ると、それは波に流されて何も無かったとか!!!。しかしこんな経験は生涯忘れられませんね。
さて23日、セールマンと第6州のランカグアに行ってきました。既に5州は2回訪問しましたが、6州は地震後初めてでした。8州が震源地だったので、そこと近くの7州に被害が集中していますが、その北に隣接した6州も結構やられたらしい。そこまでの高速道路は破損した箇所の一部を迂回させられましたが、大きな問題もなくランカグアに到着。仕事でドニィウエ町のトラック屋に行ったら、そこのオヤジ(オーナー)が、地震の後のテレトン(被害者救済の27時間テレビ番組)で見た被害者の様子が忘れられず、自分で援助物資を持って一番被害の多かったと言われるイロカに行った由。食料品、飲料水のほか、ほとんど使っていない靴や服を持っていって被災者に配り始めると、「お母さん、この靴どうぞと言うのに、私には少し大きい(小さい)から他の人にあげてくださいと遠慮して受け取らないんだ。感激したね、その地区の人々の気持ちに。もう一度この週末、食料品、トイレットペーパー、そのほかの物資を持ってそこに行くんだ。君たちも協力してくれないか」その朝、キャッシャーから引き出したお金が財布に入っていたのでそれを全部渡しました。それからおやじがこの町も中心地区は随分やられたんだぜと言うので、セールスマンに仕事を終えてから、そこを通るように頼みました。確かにアドベで作った家屋が多く倒れていました。しかし不思議だったのは同じような作りの家なのに一軒は全壊、その隣は亀裂だけと際立った対照を見せた場所がありました。どこにでも運・不運と言うのはあるわけですね。