チリの風  その361  10年2月22日―28日

確かに季節が変わってきました。朝晩なんか寒くなってきました。今まで冷房だったのがこれから暖房が必要と言うくらいの替わりようです。

そして土曜日の朝4時。ドドンと揺れ。地震の始まりでした。チリは地震国で、私はもう何度もそれを経験していますのでそう驚くことはなかったのですが、今回はその揺れる時間が長いので通常の地震でないことはすぐ分かりました。サンティアゴではメルカリ8度でした。私の住む部屋でも壁に亀裂が入り、風呂のタイルがはがれました。揺れの直後に近所に住む娘から電話が入りましたが、それが最後で、電話、電気、コンピューターと全部きれました。水とガスだけは私の地区では大丈夫でしたが、首都圏の各地で止まってしまいました。その晩はア二ータとろうそくの明かりで夕食を共にしましたが、ロマンチィックでした。日曜日の夕方、電気、電話、インターネットが回復、やっと正常化です。世界各地から20数通のメールを頂ましたが、時間がなくちゃんとした返事をしていません。あしからず。

しかし地震が強烈だったのは南部で特に8州のコンセプシオン近辺は壊滅的打撃のようですね。部下の安否を気遣って何十回携帯に電話しても通じません。

カリブのハイチで大地震があり、チリから救助隊を派遣したのはついこの前ですが、今回は各国から援助を受けることになりそうですね。しかし運命と言うのは分かりません。自分の人生は私が切り開くなどと偉そうなことを言っても、天変地異は誰にも防げませんね。武蔵の友だちで研究のためフェルナンデス島に渡っていた若い研究者がツナミで死亡したとか。この地震で人生観が変わったとは思いませんが、私は自分はたいした人間ではないと思っています。偶然で生かされているだけだと。ねっ、謙虚に行きます。

でもその地震の日にサッカー教室を実施できました。そして翌日の日曜日にはマラソン練習。西さんと抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げましたが、これは能天気ではありません。生きる情熱です。そして日曜日の夕食は子供とその友だちを招待して電灯の下でアサードを楽しみました。