チリ市場における日本車の歴史    07年8月

1970年にチリを歩いたことのある人なら,この国の自動車と言えば欧米車に決まっていたのを思い出すはずだ。その中でもフォード,フィアットシトロエンなどがメインだったことも。

しかし実際には日本車の歴史はそれより古い。60年代に日産はチリに組立工場をもっていたからだ。その工場は数年で閉鎖に追い込まれる。しかしそれは日産の失敗と言うより,チリで組立工場をもつメリットがなかったということができそうだ。その証拠に日産の後を追うようにフィアットプジョーもチリ工場を閉鎖している。

つまりチリの国策が国産品保護から開放経済にと変化していったからだ。これは850CC以下の小型車の輸入税逓減として実現された。つまり完成車を輸入する方が国産するより競争力を持つという市場に変化したのだ。

こうして日本の得意とする小型車輸入の道が開かれた。

1976年のサンティアゴで開催されたフィサ(見本市)で日本ブランドの大半が展示された。トヨタ, 日産, ホンダ、マツダ, 三菱, スズキ。

そして日本車ブームの頂点に立ったのが79年に投入されたダイハツシャレードで、1981年にチリ全土で販売された新車が14万台と言うレベルの市場で、この車は総数で8万5千台が売れている。

さらに時代がたった。日本車は価格競争力で売れると言う時代を越え、品質で他国品を凌駕するようになっていった。こうして市場の信用を勝ち取っていく。

そしてこれは現在まで継続され、2006年の数字で,わずかながら韓国を抜き,日本ブランドはチリに輸入された乗用車のトップの座についている。

もちろん市場は休みなく動いているわけで、07年に入りチリに輸入された車の生産国としては韓国が1位、日本はその後塵を拝し2位になった。さらに中国やインド産の安い車が大量に輸入されるようになるとこの先のシェア―争いの見通しは難しい。

以上